日本人が、考えるフェミニズム。それは19世紀に行われていた活動ではないだろうか?

はっきり言って、フェミニズムは変化してきた。近代フェミニストの中に、鼻息荒く「男性社会は悪!女性こそが善!男女平等!」なんて叫んでいる者はいない。

こんなものは時代遅れだ。近代フェミニスト、彼らが求めているのは「女が女らしく生きること」、「女としてあるがままの美しさ」だ。例えば、職場でセクハラをされないこと。そして、(日本ではあまり無いかもしれないが) 街を歩いていて冷やかしを受けないこと。


とあるアメリカの強姦罪の裁判にてこのような事があった。

女性側は同意は無いとし、男性側は同意があったと言うように、意見に食い違いが出た。

そして、罪に問われた男性の弁護人はこう述べた。

「この裁判に集まった証拠によって、彼女が被告人に惹かれていたことや、誰かと出会い、一緒になろうと期待していた可能性を、完全に排除できるでしょうか?彼女が何を着ていたかに注目してください。彼女はレースのついたTバックをはいていたのです。」


陪審員は全員一致で男性を無罪とした。


これは「女が女らしく生きること」に反している。女性はTバックをはきたければ、はけばいい。女性の在り方、つまりどの下着を着用しようが、本人の自由だ。

可愛い下着を着用して男性と会っただけで性行為に同意したことになってしまう。

これが現代の問題だ。


ここで男性側から上がってくる声を紹介しよう。

「女性専用車は男性差別だ!」

はたして、本当にそうなのだろうか?

たしかに私自身、女性専用車に乗る女性は自意識過剰なのではないかと思ってしまう。

しかしこれは個人的な意見だ。

根本的に考えてみると、そもそも女性専用車が生まれたのは、男性によって女性に「性的嫌がらせ」であるセクハラが行われる多かったからだ。


ネット上で「フェミニスト」と検索をかけると、フェミニストはとても馬鹿にされている。まるでその人は自分より劣勢な人間であるに違いない、という態度だ。

日本人の考えるフェミニストは、19世紀のフェミニストのイメージしかないのだろう。

私は当然だと思う。なぜなら日本ではフェミニズムの教育、性教育がされておらず、昔から男女で差別されていたからだ。


女は家庭科。男は技術。

女は工場で働く。男は戦争に行く。

女は家事。男は仕事。

女は育児。男は仕事。


誰もが考えているこの常識。

本当に「常識」なのだろうか?

どうして男のみが戦争に行かなければならなかったのか?

もちろん、完璧な男女平等は19世紀のフェミニズムでは成し遂げられないところがあった。

男女で体力の差があるのは当然だ。

しかし、体力のある女性はいないわけではない。体力に自信のある女性は、本人が望むなら、行かせても良かったと考える。

私のこの意見に、日本人の時代遅れなフェミニストは反対するだろう。

「オンナは戦争になんか行かない!!!」なんて、鼻息荒く。


どうして女は育児、家事なのだろうか?

家事、育児を夫婦のどちらか一方に全て任せるのは間違っている。

私の父は、お米のお代わりを自分でやらない。母に任せっきりだ。

土日休みなのだが、休みだからと言って家事を手伝うわけではない。ただねっ転がって、本を読んだり、スマホをいじったり、テレビをみたりしているだけだ。

私は母を尊敬しているわけではない。

彼女は自分のエゴを家族全員に押し付けてくる。だが、仕事をし、家に帰って夕飯を作り、洗濯物を取り込んで、食器を洗い、父が帰ってきたら再び夕食の準備をして...と言う生活をこなしているところは凄いと思っている。


誰一人、フェミニズムを理解していない。

教育がされていないのだから当然なのだが、女性にも問題があると考える。女性差別されても平気でキャーキャー笑ってはしゃいでいる女が沢山いるのだから。

私のクラスメイトに2人程いた。男の子の前では必ず馬鹿な女の子の振りをしていた。

女の子は、そうすればモテると考えていたのだろう。男の子は、馬鹿な女だな、と考えているのも知らずに。

私のクラスでは、ある男子がクラスメイトみんなのいる教室で大きな声で

「だよな!女は金だよな!www」

と言った。私は信じられないと言う目つきで隣の席だったその子を見た。次に周りの女子を見た。

みんな、ただ笑っているだけだった。

本当に恐ろしくなった。これが現実なのだ、と。

差別されても、それが当たり前。

みんなそう考えているのだ。この時から、私はフェミニズムの教育の大切さを実感した。


本物のフェミニストは、男性に理想を押し付けない。

本物のフェミニストは、馬鹿じゃない。

本物のフェミニストは、話せばわかる人。

本物のフェミニストは、ちょっとした男女の平等が欲しいだけ。本当に「ちょっと」。まるでコーヒーに砂糖を入れるかのような、「ちょっと」

本物のフェミニストは、男女で賃金の差があるのが嫌なだけだ。「能力」じゃなくて「性」でその差が生まれているから。


思い込みはやめてほしい。本物のフェミニストは田嶋陽子みたいな人じゃない。

あの人たちは本当にフェミニストなのか?ただの変人ではないか?だが、テレビの影響力には勝てない。あの人こそが、フェミニストの象徴となってしまっている。


これが、15歳の、偏差値66の高校の1年生である私が考えていること。

つまらなかった人生に光が灯った。やるべきことを見つけたような気がした。

この世の中に少しでも変化をもたらしたい。