久々に柴咲コウさんの最愛をきいて、久々に容疑者Xの献身のラスト見て、号泣である。


前に見た時は、10年前くらいかな?そのときはなんて救われないラストなんだ、と心の痛い気持ちが大きかったのだが、やはり歳を取ったりいろんな経験をすると感情部分は多少変わるものである。そこがまた人間の面白いところである。


誰も救われないのである。だけど、人間ってこういうことしちゃうよね。

容疑者Xさんは、本当に本当にこれで彼女らが幸せになると思ってたんだろうね。

でも、第三者目線から見ると、そんなはずないよなとわかるのだけど、当事者だとわからないよね。

ヒトとは不可思議なものである。




誰も救われないと言えば、統合失調症の被害妄想なんかがある。

妄想の対象になった人は、もちろん大変な目に遭うのだが、統合失調症である本人の苦痛は計り知れない(文字通り、「健常人」にはわかるはずもない苦しみである)。

本人にとってはそれが真実の世界で、被害を受けているのは自分自身なのである。

それなのに誰も信じてくれず、嘘つきだとか病気だとか言われて真剣にも取り合ってもらえない上に、自分が加害者扱いされるのである。


「妄想」と名をつけるのは、精神科としては、ある意味それが「真実」である事の証明である。

嘘と思えば、虚言と名付けるのであり、妄想とするのは本人を信じているからこその名付けなのだが、本人にとってはこの上ない侮辱である。


先生のこと信じとったのに、先生は信じてくれんの!!


まさにこれである。


お薬をのむと、効く人には効き、最近ではお薬さえ飲んでいれば、ほとんど普通に生活できるような人も増えているのである。


さて、問題は、これが誰にでもおきうる病気であるということ。

100人に1人という、病気にしてはかなりの高確率で出現し、明確な遺伝的要素や原因は未だよくわかっていない。

それなのに、自然淘汰されずに残っているのである。

病前性格やリスク因子など、なんとなく出現を予期させるものもあるが、確実なものはない。


ある日突然、誰かが自分を殺そうとしていると「わかって」しまったら。

そいつを殺さない限り、その恐怖から逃れられず、毎日過ごすとしたら。

そして、ある日突然、そいつが「襲って」きたとしたら。


ということが、その人の世界では起こりえて、「正当防衛」で、相手を傷つけてしまう可能性がある。


被害者、被害家族としては、たまったもんではない。

本人家族も、本人に対しての悲しみやら憎しみやら、助けたい気持ちやら被害家族への申し訳なさやらでぐちゃぐちゃである。

まさに、誰も救われない。


ただ、妄想があるからといって誰かを殺して必ずしも罪に問われないかと言われればそうではなく、例えば妄想があったとしても冷静に計画してたりしていれば、きっと責任能力ありと判断されるかと思う。

人を殺すことはいけないという判断も、その他に解決する方法もきっと見つけられたはずだから。


ただ、周りが人殺しに見えている状況で、そんな冷静な判断ができるかといわれれば難しいかもしれない。

そして、そうならない保証はどこにもなく、自分で気がつくのも難しい状態になるのである。


しかもそれは本人の意思ではなく、ある意味脳の誤作動でかってに思わされているのであり、動かされているのである。

もはや、他人も信じられないが、自分も信じられやい状態になるのでないか。

統合失調症の方の自死率はかなり高い。


ただ、新薬も少しずつだが出てきており、少ない副作用でコントロール可能な人も増え、軽症の人が増えている。

そこに救いはあるのが救い。