とても不思議な刺激を受けたお芝居だったので、感想をつらつら書いていたら結構な長文になってしまいました…(長文すぎるので役者名は敬称略です)
「ゴドーを待ちながら」的な「不条理劇」らしいので、先入観を入れずに自由に想像しながら観る方が楽しめるらしい…という程度の知識だけ持ってシアタートラムに入った。
少し雑然とした地下室のような部屋に男が2人。とりとめもなく会話をしながら、はしゃぎ動きまわる彼ら。しかし彼らの境遇は謎である。
彼らはバリータークという村に住む人々の話をずっとしているのだが、どうにも奇妙な点が多々ある。
村の住人の名前はたくさん出てくるのに、男2人は互いの名前を呼ばない。何人もの村の人々の会話を口真似をしたり、ウサちゃんの話をしているかと思えば突然ナイフで刺される話が出てきたり、ウサちゃんの足が五本だったりするチグハグさ。どこか残酷な童話のようでもある。
2人はどうやらずっとこの部屋に住んでいるらしい、
草彅演じる男1は、外から入ってきたハエの姿に初めて見たかのように興奮し、松尾演じる男2は大して気にも止めない。男1が子供のような言動をするに対して、男2は少し大人びているように感じる。男1に付き合って話をし、着替えを手伝い、2人一緒に音楽と共に踊り飛び回るのだ。
時々壁の外から会話が聞こえてきて、その度に、草彅演じる男1は好奇心旺盛に語りかける。
でも、返事はない。一方的に語りかけている自分の行動に疑問も持たない。
男1はこの部屋の外に何があるのか分かっていないように思える。なんというか、
「この部屋の外」という概念があることすら気づいてないようなのだ。
何度となく出てくるバリータークの住人たちの話に、ある時大柄なマッサージ師の話が加わった。
これは少し前に壁の外から聞こえてきた会話だ!
…という事はつまり、
バリータークの住人は、部屋の外から聞こえた会話を元に、男1が想像で作り上げたキャラクターということなのだろうか?
男1は外の世界をろくに知らず、想像を広げて日々の暮らしを楽しんでいることになる。何かしらの理由でこの部屋の中で長い間育ってきた人間?ウサちゃんという幼児言葉、子供っぽい言動、子供のような好奇心、子供のような元気さ…そう思えばしっくりくるような気がする。
何故この部屋に彼はずっといるのだろう?
私たちから見ると箱庭のような部屋だけど、何となくここは男1を保護している部屋なのではないかという気がしてきた。例えて言うならば隔離病棟のような…もちろん現実の病室そのものという訳ではないけれど。
ここで私は昔読んだカウンセリングの本を思い出していた。何かしら恐ろしい経験のトラウマを抱えた子供の、その回復の為に作られた治療の場所なんではないか?子供の心理療法では箱庭で遊んだりすることがあるし、役割を決めて会話をするロールプレイなどもある。
唐突に何度も現れるナイフ、はじめに付けていたヘッドギアのようなもの…誰かからの暴力やそれの後遺症での錯乱?自傷?
まぁ、これは想像でしかないけれど、男1はこの部屋にいる限り安全なのかもしれない。
そんな想像を広げていると、芝居に急展開が起こる。部屋の壁が突然バカーンと開いて男3が現れたのだ。
異世界から現れたような演出で登場した男3は、彼らに告げる。
二人のどちらかがここから出なくてはならない。しかしここから出たら12秒後に死ぬことになる。
男3が男1の顔を見た時、「思ったより歳が上だ、親の顔に似た?」というような事を言っていたので、やはり男1は幼児の時にこの部屋に入り、育ってきたのじゃないかと思う。
劇中かかるたくさんの音楽は何故か80年代頃の古い曲ばかり…この芝居は最近の劇作だったはずなので、その現在とのズレが男1がこの部屋にいた時間の長さを示しているという事なんだろうか?
(だとしたら男1と2を演じる役者がアラフォーである事も偶然ではないのかもしれない)
男3は研究者か異世界の使者みたいだ。なぜかハエを生き返らせることも出来る。そして哲学的な謎の言葉をたくさん残したまま立ち去る。
男2は、男3の登場に何か恐れたような態度だったが、男1は男3が語った「部屋の外の世界」に俄然興味を抱く。男1は苦悩し不安そうに叫び始め、突然倒れて痙攣を起こす。もうバリータークの住人の会話を素直に楽しむことが出来なくなっていく。
心理療法や深層心理学系のことを思い出していた私は、「どちらかが出ていかなければ(死ななければ)ならない」という言葉から、多重人格の人のカウンセリングの話を連想していた。治療が進んでいく段階で、ある人格が消え統合されることがある。そんな時「自分がいずれ消えてしまう」という自覚を持っている人格があったりする。
だから私は、男2がそんな存在で、外に出ることによって、男1も部屋から解放されるのだろうか?と、なんとなく思っていたのだが、その予想は外れた。
「自分の方が年上だから」と言って男2は出ようと決意するのだが、外へ出たいという渇望を察してか、男1に「君が出るように」と促したのである。
自分が外に出る、という概念を持った瞬間、男1は急速に大人びて、滔々と語り出す。
バリータークの住人のような他人の話とかではなく、「自分自身の語り」である。
その言葉は無邪気なのに哲学的で、悩みから抜け出て確信を得たかのように、身体中から好奇心とまばゆい透明な光のパワーが溢れ出すような言葉だった。
私はなんとなく、「これは人が人生を自覚して力を持った瞬間の輝き」のような気がして、ラスト近くの草彅剛の長い独白を眩しそうに見つめていた。
そして、男1が力強く外へ出ていった後の、真っ暗な部屋の中うなだれた男2の姿をじっとじっと見つめていた。そして少女が入ってきた時思った、「また、この部屋ではじまるんだ…」と。
男2は結局なんだったんだろう…?男2の物悲しさが最後に残った。外へ出ていく勇気を持てない悲しみのようで…。
自宅に帰ってパンフレットを読んだ。
…なるほど。カトリックの辺獄という可能性。
もちろん不条理劇だから正解が決まっている訳ではないだろうけれど、色々と腑に落ちてくる。
幼い子供のうちに亡くなったということは、事故か病気か殺人か…なんにせよ生きることの意味とか楽しみとか自覚することもなく死んでしまったということで、でも何だかよくわからない死ぬ時の恐怖も味わって亡くなっている訳で…。
だとしたら私の連想もあながちズレてはいなかったのかもしれない。カトリックという宗教がわざわざ亡くなった子供用の辺獄という世界を作ったのだとしたら、その魂を癒す為ではないか?と思うから。
男2もやはり幼い頃に亡くなった子供なんだろうか?
彼は外へ出る事の意味や、男3が何者かも、何となく気付いているようだった。男1より少し年上である意味はここにあるのかもしれない。少し冷めていて、頭で色々考えてしまって外に出る勇気…つまり生まれ変わること、生きることや死ぬことに臆病になっているということなのかもしれない。
じゃあ、男3はなんだろう?「あの男に妹と一緒に車で連れられてきた」「外へ出て私に会うまでの12秒後に死ぬ」
…死神…なのかな?でも死ぬことだけでなく、生まれることも司っている存在?…だとしたらなんとも哲学的な…。
生きることと死ぬことは表裏一体。生は死ぬまでのたった12秒、そのたった12秒の輝きに憧れて、渇望した者が新しく生まれることが出来るんだろうか…?
ふと我に返って、思う。
私たちはこんなバリータークのような部屋の中に住んでいる訳ではないけれど、こんな風に無意識に作った壁に囲まれて生きてしまうことはあるのかもしれないなぁ…。
テレビや本やインターネット…色んなことを知っているつもりになっているけれど、実際経験してもいないモノをバリータークのように語って楽しんでいる事も多いような気がする。
いつの間にかそこにいる事に疑問すら持たない居心地のよい「そこ」から外に出たいと思う気持ち、
頭で考えるよりも本能的な好奇心と衝動…。
そんな風に繰り返していくことが、生きている事の醍醐味なのかもしれないなぁ…なんて事を思ってしまった。
「あそこに何があるのか知っているのに、どうしてここに居られる?」
「そんなのどこにも自由がないよ!ただ言葉で隙間を埋めているだけだ、本当の人生じゃないよ…」
NHKニュースのバリーターク特集で流れた男1の台詞が観劇後、より心に響いた。
あまりに情報量が多くて記憶があやふやな点も多いので、改めて前半の会話や小道具の意味を確かめる為にもう一度観てみたいけれど、人気公演過ぎて厳しいですね。なにしろ当日券に何日も電話をかけて、やっと繋がったけどキャンセル待ちで、幸いなことに開演ギリギリに呼ばれて入り込めたのだ、観れただけでも幸運なことなのだ、うん。
でも観れていない人も沢山いる訳だし、内容的にNHKのBSあたりで放映してくれないかなぁ…と願ってます。