信じられること、信じられないこと②
信じられること、信じられないこと① からの続きですわたしがそのような考え方になったのには理由があります。人は経験によって作られます。経験がなければ、物事を判断することも信念を持つこともできません。先のブログで、スピリチュアルや宗教=自慰行為や詐欺であるのような書き方をしたのは極端かもしれません。それがただの気休めであっても、もしかしたらありえないほど高額でも、「心救われた」「かかわれて幸せだ」と感じるのは個人の自由だからです。ただその中で、家族を巻き込み一家離散したり、不安障害などの精神的な症状が出てしまったり、財産を根こそぎつぎ込んで(つぎこまされて)一文無しになる人もいます。わたしの両親はとにかく、そういったよくわからないものに巻き込まれる回数が多かったように思います。人生経験が浅い探究心がない相談できる相手が極端に少ない物事を深く考えるのが苦手全てにおいて受動的である人に嫌われるのが怖い人に良く思われたいプライドが高いこういった面に関しては、2人とも同じタイプでした。さらに生まれた子(わたし)が、アレルギーがあり喘息がありアトピーがあり、さらにおねしょは治らず場面緘黙で友達もできないとなれば、それはそれはいろいろな人がいろいろな物や話を持ってきました。