先ごろ、活動休止を宣言された宇多田ヒカルさんの御母親である藤圭子さんは、
1970年に「新宿の女」でデビューしました。
当時はジャンルの概念が薄かったと思われますが、演歌・歌謡曲系の楽曲を歌われていました。
「新宿の女」が、翌70年の2月ごろにヒットしてから、
「女のブルース」、「圭子の夢は夜ひらく」、「命預けます」と、立て続けにヒットが続き、
結果として1年に4曲もの作品を残すことになりました。
1つの曲が流行する期間が長かった時代で、
1年に4曲もヒットしたことはとても衝撃的なことです。
この怒涛の勢いは、当時を知る人たちには強烈な印象を与えたことだろうと思います。
「新宿の女」は後続の3曲とは異なり、“あたたかさ”を感じる曲です。
長音階のメロディだからということもありますが、
前奏・間奏等で流れるラッパの音が、聴き手に“やすらぎ”を与えているように感じます。
夜更けの酒場で酔いつぶれてしまった主人公の背中に、そっとコートを掛けているような感じです。
夜の酒場で女性がひとりでお酒を飲んでいる様が歌われています。
どうやら、付き合っていた男性が突然姿を消し、
見捨てられてしまったことから、酔いつぶれているようです。
歌の主人公は、その男性のことがとても好きだったようで、
最後まで「きっと振り向いてくれるだろう」と、
彼のことを信じ続けていた自分がバカだったと悔やむ気持ちが歌われています。
そして、それでもなお、彼が出て来る夢を見て涙を流したりと、
気持ちが整理ができず定まらない心理が描かれています。
当時は、夜の盛り場を舞台にした歌謡曲がブームになっていました。
(※盛り場を舞台にした歌謡曲については、また今後取り上げます。)
この曲は、他の“盛り場歌謡曲”に比べると、心情が繊細に表現されている気がします。
それは、捨てられた女性の想いが、セリフで述べられているところで感じられます。
“未練”や“涙”といった、ありふれた単語で表現するのではなく、
“未練”な気持ちを、女性のセリフで具体的に表現しているから、
言葉に豊かさを感じます。
そんな人間味のある歌詞で最も気になるところは、
捨てられた自分を“ビールの栓”に例えている点です。
大抵の歌謡曲は“自分自身が感じている悲しみの深さ” に視点が向けられており、
自分のことを客観的に見て、何かに形容するような、そんな余裕を持つ作品はあまり見かけません。
自身の境遇をこのように例えるのは、この時期特有の流行のようです。
この曲の3ヶ月後にヒットした「あなたならどうする」という曲でも、
恋人に別れを告げられた主人公が、
自分は“紙クズ”のように捨てられた、と例えています。
「当時の人たちが、なぜそういった心情を描いた作品を支持したのだろう?」と気になっていましたが、
この背景には、“時代の急速な変化”があったからではないか?、と考えています。
当時の社会がどのような雰囲気だったかを肌で感じることはできませんが、
この時期を境に、洋楽や歌謡曲と定義される曲が、
早いペースで減少し始めていることが分かります。
そして、ポップスと呼ばれるジャンルの曲が急増してきます。
“これまでの常識が通用しなくなった”ということを、
容易に感じることができるほどの変容ぶりです。
“時代の変化について行けない”、もしくは、
“変化の方向性が理解できない”といった雰囲気が世のなかに芽生えた時期だったと感じます。
今の時代も、嵐さんやKAT-TUNさんのようなジャニーズ系のアイドルをはじめ、
AKB48さん等のアイドル作品がヒットチャートを席巻していますが、
私は少しついていけない感じです。
これと似たような“私は時代から取り残されている”という雰囲気が、
すでに70年にあったのだと推測しています。
↓音源は、下記のCDで聴くことができます。
青春歌年鑑は、ポピュラーなシリーズですので、どこのTSUTAYAでもレンタルできると思いますが、
いつもレンタル中だったり、借りられすぎてボロボロになっていたりしますので、ご用心ください。
1970年に「新宿の女」でデビューしました。
当時はジャンルの概念が薄かったと思われますが、演歌・歌謡曲系の楽曲を歌われていました。
「新宿の女」が、翌70年の2月ごろにヒットしてから、
「女のブルース」、「圭子の夢は夜ひらく」、「命預けます」と、立て続けにヒットが続き、
結果として1年に4曲もの作品を残すことになりました。
1つの曲が流行する期間が長かった時代で、
1年に4曲もヒットしたことはとても衝撃的なことです。
この怒涛の勢いは、当時を知る人たちには強烈な印象を与えたことだろうと思います。
「新宿の女」は後続の3曲とは異なり、“あたたかさ”を感じる曲です。
長音階のメロディだからということもありますが、
前奏・間奏等で流れるラッパの音が、聴き手に“やすらぎ”を与えているように感じます。
夜更けの酒場で酔いつぶれてしまった主人公の背中に、そっとコートを掛けているような感じです。
夜の酒場で女性がひとりでお酒を飲んでいる様が歌われています。
どうやら、付き合っていた男性が突然姿を消し、
見捨てられてしまったことから、酔いつぶれているようです。
歌の主人公は、その男性のことがとても好きだったようで、
最後まで「きっと振り向いてくれるだろう」と、
彼のことを信じ続けていた自分がバカだったと悔やむ気持ちが歌われています。
そして、それでもなお、彼が出て来る夢を見て涙を流したりと、
気持ちが整理ができず定まらない心理が描かれています。
当時は、夜の盛り場を舞台にした歌謡曲がブームになっていました。
(※盛り場を舞台にした歌謡曲については、また今後取り上げます。)
この曲は、他の“盛り場歌謡曲”に比べると、心情が繊細に表現されている気がします。
それは、捨てられた女性の想いが、セリフで述べられているところで感じられます。
“未練”や“涙”といった、ありふれた単語で表現するのではなく、
“未練”な気持ちを、女性のセリフで具体的に表現しているから、
言葉に豊かさを感じます。
そんな人間味のある歌詞で最も気になるところは、
捨てられた自分を“ビールの栓”に例えている点です。
大抵の歌謡曲は“自分自身が感じている悲しみの深さ” に視点が向けられており、
自分のことを客観的に見て、何かに形容するような、そんな余裕を持つ作品はあまり見かけません。
自身の境遇をこのように例えるのは、この時期特有の流行のようです。
この曲の3ヶ月後にヒットした「あなたならどうする」という曲でも、
恋人に別れを告げられた主人公が、
自分は“紙クズ”のように捨てられた、と例えています。
「当時の人たちが、なぜそういった心情を描いた作品を支持したのだろう?」と気になっていましたが、
この背景には、“時代の急速な変化”があったからではないか?、と考えています。
当時の社会がどのような雰囲気だったかを肌で感じることはできませんが、
この時期を境に、洋楽や歌謡曲と定義される曲が、
早いペースで減少し始めていることが分かります。
そして、ポップスと呼ばれるジャンルの曲が急増してきます。
“これまでの常識が通用しなくなった”ということを、
容易に感じることができるほどの変容ぶりです。
“時代の変化について行けない”、もしくは、
“変化の方向性が理解できない”といった雰囲気が世のなかに芽生えた時期だったと感じます。
今の時代も、嵐さんやKAT-TUNさんのようなジャニーズ系のアイドルをはじめ、
AKB48さん等のアイドル作品がヒットチャートを席巻していますが、
私は少しついていけない感じです。
これと似たような“私は時代から取り残されている”という雰囲気が、
すでに70年にあったのだと推測しています。
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