私は理由があって、子供を作ることが出来ない体ですし、それが分かっているということもあるかもしれませんが、結婚してからほとんど1度としてまともに生殖行為をした覚えがありません。「夫婦」というよりも「仲間同士」と言った方が合っているのかもしれません。それでも一応、仲良く暮らしていると自覚は持っております。
そして私は、これまでに1度も「自分の子どもがほしい」と思ったことはありません。理由は「自分の子どもが私と同じような目に遭って苦しむ、あるいは私よりも辛い思いをしてしまうかもしれない。それだけは嫌だ」と考えてしまうことが第一の理由です。一時期は「私が今まで生き延びられたのだから、私の子どもが万一生まれたとしても、自分の身に降りかかる困難や災難などに対処でき、乗り越えられるのではないか」という思いを抱いた時期もありましたが、それは「私自身の身勝手な考えに過ぎない」ことに気づきました。私自身の身の上に、それまで以上に最悪な事態を迎えてしまった一時期、私は本当に生きるか死ぬかの瀬戸際にまで追い詰められたことがあり、私一人だけだったら確実に死んでいたからです。それ以来、私は子どもに自分の希望を持てなくなったのです。 私は理由があって、子供を作ることが出来ない体ですし、それが分かっているということもあるかもしれませんが、結婚してからほとんど1度としてまともに生殖行為をした覚えがありません。「夫婦」というよりも「仲間同士」と言った方が合っているのかもしれません。それでも一応、仲良く暮らしていると自覚は持っております。
第二の理由は、私の生い立ちにあります。私はいろいろな理由が交錯し合って、結果的に機能不全な家庭に育ちました。特に私の両親は、私が三十路を越えても、髪の長さから行動の一つまで、干渉し続けられました。そして、両親の言うことに従わなければ、今度は私が精神的にまいってしまうまで完膚無きまでにする、という人達でした。今でも両親は生きてはおりますが、私から両親に連絡を取ることはほとんどありません。そして、そんな環境下で育ってしまった私は、「自分の子どもに私が両親にされたことと同じことを繰り返してしまうのではないか?」と思うと、怖くなったのです。「世代連鎖」、どのような形であれ、「親の因果が子に報い」の言葉通り、虐待の連鎖もいくら自分の代で止めようとしても、今度は別のところで問題が膨れあがるなど、世代連鎖を断ち切るのは私だけの自律だけでは為し得ないことを、いろいろな場面で痛感するからです。
『他人と比較することはしない』とは、私が相方さんによく言われる言葉なのですが、ここで吐き出させていただきます。
『私は好きでこんな体になったんじゃないっ!好きで病気になったわけでもない!それを分かっているのに、どうして私の前で自分の子どもの話をするの?私がいくら「自分の子どもはいらない」と言っていても、私だって羨む気持ちは少しは残っている!でも、私達は子どもを1人だけでも養うだけの経済力も全くない。自分達の生活だけで精一杯なのが現状。里親にもなれやしない。いつまでも続く子ども自慢をずっと聞いていられるほど、私はお人好しじゃない!子供を産めない奴に子どもの話をする神経って、どうよ?私のひがみも相当だけど、そういうあなたの神経も相当だね!』
もう不惑も過ぎてしまった私には、選択の余地すら残っていません。自分の子どもばかり、それが過ぎるとご主人の話を聞かされるのも、もうたくさん!反吐が出る!