乳がんとスタートした結婚生活 | 人と木 《末期ガンと暮らす日々》

人と木 《末期ガンと暮らす日々》

2014.1月 乳ガン ステージIII診断から無治療を選択。
(既にリンパ節 複数転移)
2017.12月 ステージIV診断、左肺胸水、胸膜、多発骨転移。
(首〜肩、脇腹、右胸にかけても複数腫瘍)緩和ケアのみ。
2018.10月 ホスピス入院、ホスピスライフを綴ります。

ブログ更新の間隔が空いています

ごめんなさい。


体調は変化なく、

3月から仕事も始めました。


cancers cafe 人と木  も無事終了。


余命も延長中というか、

かなり元気に暮らしています。


夜22:00に、しっかり就寝したいので、

20:00以降のスマホを止めました。


そんな理由から、

更新が空いても心配しないでくださいね


今年も京都の桜を満喫できて幸せです



自分の記録もあり、

少し過去を振り返ってみました。

過去記事と重複する箇所もあります。





2013年12月24日 

入籍から3日後のXmas 

自宅から程近い病院で、

かなり進んだ乳がんと診断された時、

わたしは、がん無治療で生きたい。

と、心に決めていた気がします



乳がんと診断される3日前に入籍。


わたし達は年の離れた夫婦です。

穏やかに暮らしたい気持ちがありました。



2013年1月

がんセンターで乳がん ステージIII診断。

抗ガン剤、全摘手術、放射線、免疫療法と、

全てヤル気満々の医師たち。

まるで白い巨塔のような がんセンター。


わたしは、

「付き合っていけそうに無い」

「そんな治療をしたら、治療で、

この身体はボロボロになってしまう」

そう思いました。





わたし達の結婚は、一般的な結婚とは、

少し形が違っていました。



旦那さんは、長年連れ添った奥さんを

数年前に亡くし、息子と暮らしていました。

その後、脳梗塞で倒れました。


病院に見舞った際、

ベッドで食事をしていましたが、

右手が使えず、左手スプーンで、

ぎこちなく食べていました。


ベッドの隣には車椅子も置いてあり、

右足も麻痺があるから使用しているのか?

聞こうと思いましたが、聞けませんでした



元気な頃は仕事をバリバリこなし、

ゴルフはシングルの腕前、明るい人でした。


そんな明るい人が、

「もうダメだよ」

肩を丸めながら、笑って言いました。



その薄暗い病室も気になりました。




初めての見舞いの日、

持参したゴルフボールを渡しました。



“大丈夫、絶対に良くなるから!

ゴルフが出来るようにしてあげる!”


そう声を掛けて帰りました。


でも、帰りのバスや電車の中で、

正直、どこまで回復するのかな?

という不安はありました。



その後、仕事が休みの日は、

治療法やリハビリ等、

明るい話題を抱えて見舞いました。



その後、リハビリ専門病院へ転院。

朝からリハビリ三昧、元気になってきました。



人間は目標が無いと頑張れない。

そう思っていたので、次々とプランを。

電車で1時間程度の一泊 温泉旅行。

少し遠出、伊勢神宮へ参拝する3泊旅行。

ハワイ島のコンドで過ごす1週間旅行。

それぞれプランを立てている間、

不安はあるものの、ニコニコしていました。



笑顔が出なければ治らない。

楽しさが先にあれば、リハビリは続けられる。


人間の本質、当たり前の事が、

医療機関では全く無理なんだよね。



旅行プランは、ひとつずつ叶えました。



退院しても、様々な数値が高く、

絶対に食事療法も必要な状態です。


“この人、一人で生きていけるのかな?”


初めに、

“一緒に生きて行こう”

そう、声を掛けたのは、わたしです。

大恋愛の末とか、

そういう甘い気持ちではありませんでした。



旦那さんの子供たちは、わたしと歳が近く、

結婚と同時に子供3人、孫4人。

子供を産んで育てたことの無い

わたしにとっては不思議な気分満載?




正直、こんな楽そうな結婚で良いのか?

そう思ったのも半年程度


描いていたより波乱万丈な結婚生活



それでも、当時の職場、

仲の良いスタッフに支えられていました。


わたしの家庭でのストレスを、

全て解消してくれたのは、

仕事と仲間だったと思います。




医療機関と、きっぱり離れて無治療。

再発の不安や副作用とは無縁の為、

仕事も休日も充実して過ごしてきました。

当時は好きなものを食べ、飲んでいました。

今でも後悔は全く ありません。




旦那さんも食事療法と生活改善で、

やはり、自然と医療機関と離れました。


降圧剤は認知症の原因らしい。

薬の副作用の方が怖いです。



一日15錠も服用していた薬を全て止めたら、

副作用が無くなり、車の運転も再開出来た。

行動範囲も広がり、

趣味の山城歩きも楽しくなったようで、

一緒に1000m級の山々を登りました。

近いうち、また一緒に散策したいと思います。



脳梗塞を発症しても、

要介護の人間でも回復は可能です。

その前例は作れた気がします。

今も、わたしより元気に生活しています。



脳梗塞の旦那さん、

がん ステージIVのわたし。

でも年間医療費は4年間ゼロ!

(歯科の分が多少)

確定申告で、

「医療費は無いですか?」

少し足を引きづる旦那さんを見て、

毎回、必ず聞かれる言葉です


(昨年12月末から医療費が掛かっています)







2年間の結婚生活は関東。

そして、2年前から京都に移住。

旦那さん家族が40年 暮らしていた家の処分。

7LDKの建物からは大量のゴミが出ました!

断捨離なんて可愛いものではありません。


京都の住まいを決めてから、

一ヶ月間、毎日のようにゴミ処理。

あの頃を思い出すだけで寝込みそうです。


本当に信じられない量のゴミの山


7LDK も、ひと部屋が広い部屋でした。

そんな家から、現在の長屋のような平屋へ。


わたしは、このコンパクトな家が、

人生で一番、気に入っています

だって、人間は立って半畳、寝て一畳。

物が多いのは、依存心が強い証拠。

あの世に行くときは、

何ひとつ持っては行けません。




旦那さんのスーツだけで200着、

ネクタイも200本近くありました

スーツはネーム入り、誰にも譲れない

捨てられない性格ありあり。


まだ荷物が多いよ。

と言っても譲らず、2トン車2台で引越し。

当然、荷物は部屋に入りきらず、

別に部屋を一時 借りました

(余分な💰の掛かる人)



反対に、わたしのものは少なくて、

服も靴も一年使用していないものは無く、

わたしは3畳の部屋でも充分 生活可能

万が一の時でも、周囲は困らない?



2015年3月

引越しの疲れがあったと思います。

ガンになってから初めて痛みを経験しました。

3日間、痛みで殆ど眠れず、

関東で、お世話になった酵素風呂に電話。

本家を紹介して頂きました。



日本で一番、がん患者に支持されている

酵素風呂に縁がありました。


初めて伺った時の事は忘れません。

寒いのに、

お父さん(社長)が

外で待っていてくれました。


あの日から、折にふれ、

人生についても

色々と相談させてもらいました。

お陰様で悩みも無くなりました。

 


初めて入酵したら、

信じられない位、ピタッと痛みは治りました。 

二度目、人酵した時は緊張も解けたのか?

グーグー2時間近く眠ってしまいました。




2015年4月〜

定期的に1泊で療養させて頂いています。


様々な がんの方が温まっています。

医療機関に頼りきっている方は居ません。

抗ガン剤治療している方は居ません。

笑い声が絶えない、明るい憩いの場所です。   


元気になったので、

近いうち、また酵素風呂に通います。





2017年12月  

体調不良と痛みを感じて、

4年ぶりに医療機関を受診しました。


万が一、ガンの痛みに耐えられない場合、

何処の医療機関を受診したいか?

候補の中の一つでした。


想像以上に、思い遣り溢れたスタッフ、

Dr.ふたりの診察に心まで癒されました。


受診前の自己診断通り、

肺転移で胸水あり、骨転移と、

いわゆる末期診断ではありましたが、

これ以上、身体に負担はかけずに、

痛みを取る方向で生活していこうと思います。

 

2018年1月   

リアル友達に、ブログの存在を知らせたら、

とても気が楽になりました。


2018年2月

余命も延長中、というか、

健康な時よりも確実に歩いています。


胸の重だるさも、殆ど無くなりました。

深呼吸も可能、浮腫も完全に消えました。


初夢も見る事は無く(覚えていない)

毎日グッスリ22:00には熟睡しています。


自分なりの乳がん用 糖質制限も順調。

何を食べても美味しく栄養になる気がします。



2018年3月

健康な時より

採血、採尿の検査結果は良好でした。


ともかく、朝陽を浴びて歩く、歩く、歩く。

毎日それだけで、足腰が丈夫になっている

気がします。


京都での散歩、

高瀬川、賀茂川、京都御所、近所の公園まで

自然を感じられる場所ばかり。



2018年4月

今年も京都の桜を満喫しました。

特に『お花見』と、かしこまらなくても、

京都の桜、至る所で鑑賞できます。


関東は染井吉野ばかりでしたが、

京都は枝垂れ桜、山桜が多く可愛い。



先日のCT では、

左肺をスッポリ覆っていた白い影は半分に。

まだ肺に胸水は3リットル位はあるみたい。


えっ?始めは、どの位あったのですか?

確か1〜2リットルと聞いた気が…


初診時(2018年12月)は

5〜6リットル位は、あったそうです



何はともあれ、

痛みも無く過ごせている事に感謝です。

ぐっすり眠れるだけで幸せです。



無治療を選択しましたが、

今でも、自分の選択に間違いはなかったと

思います。


痛みは多少、経験しましたが、

手術、薬の副作用は経験していません。

がんと共存しているので、

再発という心配も経験しません。


入院も経験なく、

病院に行く回数も最小限(現在で10回)

服用した薬もモルヒネ含め4種類。

現在は毎朝のホルモン剤1錠のみ。


このホルモン剤も、

症状が落ち着いたら止めたいと思います。





今の元気を継続していけるように、

感謝の気持ちを忘れずに、

穏やかに生活していきたいと思います。




いつまで生きたいとか、

特に大きな夢とか、

そんなものは全く有りません



日々を大切に過ごすだけ。


生きているという事は、

生かされている意味がある筈です。



その役目を終えた時、

おのずと迎えが来るのだと思います。



生かされていること自体、

まだ修行が必要な身だという事です。




現在

旦那はんが10日以上、風邪の症状あり


マヌカハニーを舐めさせても、

大根おろしの汁を飲ませても、

本人に治す気が全く有りません。


鼻水、咳が少し治まると、

リモコン片手に起きている。

(寝る時間はあるのに)



動物のように、

食べずに横になっていれば治るのに、

ガツガツ食べて身体を休めない



わたしは、ほぼ片肺なので、

風邪をうつして欲しく無いのですが、

どうやら、うつってしまった感じです

喉が痛くて、昨夕から微熱あり



もう、旦那はんを

かまっている暇は有りません。

わたしが、

マヌカハニーを舐め始めました。

メガビタミン増量して治します。



ここだけの話


旦那はんを入院させたい


今、そんな気分です


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皆様も、ご自愛くださいませ。

 

 



女子の温活生活

未病、病気回復の為に
普段から免疫力アップ
平熱 36.5度は健康の絶対条件
下記を心掛けてみてください

起床時、就寝時、ゆっくり白湯を飲む
普段から温かい飲み物で内蔵を温める
絹の肌着(温かい)お薦めです
腹巻き(綿、絹)でお腹と子宮を保護
身体に直接、身に付けるものは天然素材
重ね履き靴下(絹、綿、絹、綿かウール)
就寝時は湯たんぽ等で下半身を温める
室内スクワットなどで常に筋力維持
出来るだけ歩く事を心掛けて過ごす
短い時間で良いので朝陽を浴びる
外出時はカイロで保温、マスクで喉を保護
酵素風呂、陶板浴、温泉、温熱器、温灸


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