こんにちは。

昨日は、コミュニケーションがうまくいかなくて
自分を傷つける
という話をしました。

そして今日はヴァレンタインデー
大切な人へ 愛を伝える日
なんて素敵な日お願い

そんなわけですこしふりかえって考えてたの

思うように相手と意志疎通できなくて
苦しい
その"くるしい"の表現手段は人それぞれで

私が自分を傷つけてしまうのは
相手を傷つける=怒りをぶつける より
自分を傷つける方が楽だから
感情は心に届くから
怒りは痛い 送る方も受け取る方も
相手にそんなことをしてしまって痛いのは
また自分になるのがわかる
なら相手を巻き込まない方が痛みは少ない

らく、してるんですよ

でもね、感情のやり取りをしないと
コミュニケーションはうまくいかない
わかりあえない
そんなことも頭ではわかってる

だから
できることなら
怒り を介さずに
相手とわかりあいたい




今回の件に関しては
なぜ 相手は私に怒りを届けたか?
なぜ 怒りという感情を選んだか?
考えてみたよ

コミュニケーションがうまくいかなくても
相手が大切な存在ってことは変わりなくて
だから、まず相手の心を想ってみる


なんで怒ったか?


相手の意見をよく聞かずに
勝手に決めてしまったから
でした

私のその時の言い分としては笑
一度意見は聞いていた。
だから、あとは私の意見で決めていい
むしろ私が決めないといけないと思った。
最終決定の時に確認しなかったのは
相手が他の事に手を取られていて
それどころじゃなくて
でもこちらの方も決めてしまわないといけない…

焦りと 勝手に脅迫感


相手曰く
それでも相談しに来たらよかったのに


結局ひとりで決めるなら
自分がいる意味はない もう勝手にしろ


という流れ。





誰だって 私だって
伝えた意見が軽く扱われたと感じたら
傷つくよね

たぶん、私は相手の心を傷つけた
そして相手は怒りという感情で
それを表した
でも言葉では"傷ついた"とは言ってない
たぶん怒りという強い訴えをしないと
自分が傷ついたダメージを相手は理解できないと
思ったから(過去にそういうこといわれてたわ…)



私はね
まず言葉を 頭で受け取ってしまう

だから言葉に言葉で返してしまう
でもね、そうじゃない
相手が本当に伝えたいのは
本当に求めているのは
そうじゃない
ってことが

ほんとうによくある




続けてね、さらに怒らせたの笑
なんとなくわかってたけど
言葉にできないまま共に過ごして
(でも、そんなことあるあるだよね?
ケンカした!もういやかえる!バイバイ!!って
みんなできるのかな?笑)

その上何に怒られたかって
相手が私のためにお店見るのを勧めて
時間を取ってくれたのだけど
私は怒られて気がすっかり滅入って
全然お店を見る気にならない
さらーっと見て過ぎてすぐ帰ろうとした
その時はまだ相手の気持ちより
自分の気持ちが大きくて
怒られた 頑張ったのに もういやだ
って
心の壁を建設しかけてたから
なに見ても心に入らない

でもね、あとで まぁ今
気づくのよね

相手はまたまた自分の気持ち
それも私のことを思いやってお店教えて
時間をつくってるのに
それを蔑ろにされた
傷つけた





だれしも
自分以外の誰かを思う気持ちって
特別だよね
大切な思いだからこそ
相手にも大切に扱って ほしいよね


そんな簡単なこと
見えなくなっちゃうんだよ
自分の気持ちがふくらむと










だからね

思うんだ、
心から



相手の心にふれられる
対話ができるようになりたい


きける耳
きける心
届く言葉
届けられる心



簡単なことではないよ
わかる
できる人もいる
でも私には簡単ではない

こんな現状だからね笑
お前には無理だって言われても
仕方ないよ








でもね
1人で生きていた時より

世界は広がって
こまかな鮮やかさを
知ったんだよ

足元の草の間くらいの
ささやかな隙間みたいに

そんなところにこそ
息づかいが感じられること




人が生きてくのは
簡単じゃないよね
他者と関わるのは
簡単じゃない
でも
関わらずにも生きていけないし
関わることで深まる世界を知ったから

なら
このより鮮やかな世界を生きやすくしていくために
だれもがもっと気軽に
愛を伝えあえるといいなと思う


あいしてるよって
なにも特別じゃなくていい


想っている


そう伝えあえることは
とても
しあわせなことだと思う




まずは自分から

ハートのクッキーに手伝ってもらって
大切な言葉を伝えられますようににっこり