続けて書きます。


本当の気持ちを言わない方がいいって

なんとなく抱えたまま成長して


中学生

吹奏楽部に入った。

音楽が好きというわけでもなく

スポーツは苦手だし、なんとなく体験入部して

楽しかったから。


自分の楽器はいくつかの選択肢の中から

希望と試験で選ぶことになった。

私が希望したのはトロンボーン

木管楽器は吹けなくて、金管楽器の中でも

低音のマウスピースが吹きやすくて

音楽のベースを支える役割もすきだなと思ったから。

ラッキーなことに希望者は私だけで

希望通りトロンボーンの担当になった。


長い管を動かすのは大変だったけど

自分だけの楽器で、

自分だけに与えられた役割をこなすのは

とてもやりがいがあって楽しかった。

背より大きな楽器ケースを抱えて帰って

家で練習するのも嬉しかった。


今思えば、私は自分が強く望んでなにかをしたいと

言うことがあまりなくて

そもそも自分が何をしたいのか、何が好きなのか

よくわかってなかった


それでも自分にはトロンボーンがあるんだ!

と思えることがたぶん嬉しかったんだろうな




いつくらいだろう?

入部して1年、たたないくらい

でも一度コンクールには出たから半年はたつ頃かな


私は親のすすめで歯列矯正をすることになった

歯並びは一生もので、親が苦労してて

私たちにはそんな思いはさせたくないと

兄弟みんな一緒に歯医者に通った。


自分自身としては歯並びに悩んでなかったし

そんな必要あるのかな?

でも一生ものなのはわかるし、お金もかかるのにありがたいな

頑張っていい歯並びになるようにしよう と

思ってた。


金管楽器はマウスピースを歯に押し当てるし

器具が口に当たって痛いし、部活の顧問に相談した。

とても軽い気持ちで。

どうしたらいいかな~?って。



ここでも、本当に考えなしだったなぁ わたし


それは治療によくないんじゃないの?という話になり

トントンと話は進んで

歯列矯正に支障がでないよう

私はトロンボーンから打楽器に楽器変更することになった。


いやだとは言えなかった

矯正をやめるなんて選択肢もなかった

部活の仲間が好きだったし音楽も楽しかったし

吹奏楽部をやめる選択肢もなかった

でも

トロンボーンを手放すことに

頭がついていかなかった


もちろん打楽器を担当していた子がいて

その子は私のために楽器変更に応じてくれたわけで

その子だって嫌々だったかもしれない

とばっちりで、怒ってもいいくらい

でも、なにも言われなかった

私も、なにも言えなかった




しばらく思い続けた

なんで私言ってしまったんだろう 本当のことを。

なんで だまっておかなかったんだろう

矯正してても言わなければ 

そのままトロンボーン吹いていられたかもしれないのに

なんで 本当のことなんか…



私が望まない矯正治療のせいで

私が望まない楽器変更させられて


でも親は私のために治療をしてくれて

親が私を大切に思ってくれてるのはよくわかって

私も嬉しかったから痛い治療も頑張って

でも私が望まない現実から抜け出せなくなってる


なんでこうなってしまったんだろう… 

くるしい…



そうか、私が望む気持ちを捨てればいいのか




ほの暗い記憶

頭の片隅の記憶



現実には病むわけでもなく

毎日は健やかに訪れて

毎日学校に行って 部活に行って

打楽器を練習して すきになったよ

打楽器の魅力も知れたよ 楽しかったよ

でも、横目にずっとトロンボーンを吹く子が見えてた

でもね…その内その子は部活に来なくなった。

今思うと、私のせいだったのかもしれない

今となってはわからないけれど。。




そんな"本当のこと"に対する私の気持ち


歪んでしまっていたなと思う



それからもずっと抱えていた


いつだったか 出会った詩に救われた。


" 思ふこと 言はでぞ ただに やみぬべき

  我とひとしき 人しなければ "

        -在原業平 『伊勢物語 百二十四段』


源氏物語のモデルじゃないかといわれるひとりで

そんな人が言ってることに驚いて すこしほっとした


"思ったことは言わないで、そのまま口を閉ざしてしまった方がよい。自分と同じ心の人などいないのだから"




むなしさ 孤独 わかってもらえない

それでも、自分だけは自分をわかってあげられる




遠い昔に生きた人も

同じように悩んで苦しんで

空を見上げてうたっていたのかも



そう思うと くるしさもやわらぐ気がして

それから

つらい時はこの詩を胸の中でとなえてたよ。