2月1日


新月、旧暦新年

すこし新しいことをしてみようかと。


真の意味で受け入れる 過去の自分と共にある

できないと、相手の苦しさと対面したとき

自分の苦しさが掻き立てられて支えられなくなる

得たいのは"健全なひとり感"


なりたい自分になるために

そのために、ふりかえろうと思うよ。


私はいつからか

本当のこと、本当の気持ちは

言ってはいけないものだと

強く自分に言い聞かせていたよ。


ふりかえるとそう思うきっかけはいくつかあってね

ささいなものだけれど、当時の私には深くささっていたようで

大したことないよって今思えても

あまりに長く一人で押さえ込んできたものだからか

簡単には消えないものね


でもね、もういいでしょ

って思う自分もいて


本当の気持ちを 開いていける私にならないと

逆に苦しくなってきてる

この先 たぶんいきづまる。


だから、すこしづつ

出してみるね。


こんなところに出していいものかと

悩みもするけど

抱えていると私の言葉は重くなる一方だから。


これからはふわふわと綿毛みたいなことばを

綴ってゆきたいから

そのために ゆるしてね




最初の記憶は

小学校

苦手だった体育の時間のバスケ


下手なのわかってるから手を出したくなかったけど

授業だからそうもいかなくて

あと、ほんとは下手でも役に立ちたかった

だからかなり勇気を出してドリブルして進んだのだけれど

上手な男子に"邪魔!!"と言われて

ボールを奪われて(たしか仲間チーム)


そんな曖昧な記憶

でも深く残ってる 今でも

あの時のあの子の声







ふたつめの記憶は もっと苦しい

ほんとうに 忘れていた こないだまで。


私がしたことが お母さんを傷つけた記憶

小学生当時、毎日同じく登校する仲良しの子がいた


今思い出しても なんて私は考えなしだったんだろうと

むなしくなるのだけれど


母はその友達のお母さんがすこし苦手だと話していた

わかる気がした

私はその友達に 母がお母さんのことすこし苦手なんだって

と話してしまった

そのことの大変さに全く気付いていなかった


私は

どれだけ

人の気持ちに

疎い人間だったんだろう


もちろん友達はお母さんにそれを伝えて

私は母から問われることになる。


なんで そんなこと言ったの?



母は 泣いていた









私はお母さんがとても好きで

泣き虫で、小さい頃からいつもくっついていた


お母さんを傷つけた

自分でも何が起こっているか訳がわからなくて

でも苦しくて いけないことをしてしまったことはわかった

母と一緒に 友達とそのお母さんに謝りに行った





これがあったから!って

断言できるわけではないけれど


私がこれいいよって思って何かしようとする時

ふ と思い出す


邪魔!!


あの時の彼には私なんて見えてなかったろうし

そんな深い意味もなかったってわかる

小学生だしね。


それでも



私のすることなんて

無意味

それどころか

善意だろうと自己主張だろうと

しない方がいいことがある

過ちになる



なんとなく

そう感じてきた

だから

ひとりで生きていくんだと

勝手に決めてた

誰にも害をなさずに

自分だけで済むことをしていれば

苦しくならない




それは

無意識に

つい最近まで

抱えていたなぁ…。


そっか、ここからかぁって

今しみじみ気付いてる笑


もう少し ふりかえるよ。