心はどこにあるか、学生時代には仲間とたまにする真面目な会話で話し合ったり、教員時代には子供たちと熱く語り合ったりしたものです。

まだ私の答えは出ませんが、胸の奥の方かもしれないと、思うことがありました。


先日、大好きなトイプードルのレオが亡くなりました。4歳と10ヶ月でした。進行性脊髄軟化症という難病指定してもいいような、治療法のない病気で、その兆候が見えてから2日で診断を受け、その6日後に息を引き取りました。最後は呼吸ができなくなりました。でも心配していたほど苦しそうではなく、本当に息を引き取ったという感じでした。仕事も休んでできるだけ横で励まして、体を撫でて、私たち家族も頑張ったのですが、その甲斐なくそうなったのです。



私と禰宜の息子で神葬祭をあげ、お御霊は霊璽に遷し、今はお骨とともにいつも座っていたリビングで五十日のお祀りを待っているのでしょう。何も言わず静かにしています。

やんちゃなところもありましたが、言葉もよく理解し、たくさんの言葉を覚えて家族の一員として癒しを担当していたレオは、本当に優しい子でした。私はずっと寝食を共にしていましたので、現在ぎこちない生活リズムが苦痛でなりません。

1人で待っているから早く帰ろうとか、エアコンの設定が高すぎて暑くないかとか、いっしょにいない時間も私は彼中心で過ごしていました。

でも彼の姿を見ることも、大型番犬と間違えられるような威勢のよい声を聞くことも、柔らかいカールした頭や背中の純毛を撫でることもできません。私は人よりも嗅覚が高いのでレオの犬臭い香りも記憶を引き出して思い出すことしかできないのです。


本来なら喪中なのですが、父母が亡くなった時も喪中であることを周りは許してはくれませんので大祭も年末年始のお祭りも例年と同じようにしてきました。

今年、またあの辛い思いをして強張った作り笑いをしてこの時期を迎えることが心を潰してしまいそうになります。そう思った時に胸の奥の方が小さく硬くなっていて苦しくなります。それで私の心はそこにあるんではないかと思ったのです。

カフェも神主もいわゆる接客業にあたります。なんとかこの時期をできるだけできるだけ静かに過ごしていきたいと思っています。


長いことお店を休んでいた理由のひとつがそういうことであったこと、ご理解ください。

少しずつ、テレビを見ることも運転することもできるよう頑張っています。


今日も正午から夕暮れまで、水平線は営業いたします。お越し下さい。


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