わたしは
小説は
基本、単行本で読む
行間がすごく好きなのよね。
今日は
時間が出来たから
家でのんびり読もうとしたら
内容に引き込まれて
一気に読み終えた
なにも想像しないで読んだものだからさ
思いがけず号泣。
ヒックヒックしながら
読み続けてたら
夫くんが
俺、本読んでそんなに泣いたことないわ
って言うからさ
もともと小説読まないじゃん
って思ったよね。
遠い昔に
元夫くんから自由奔放だったわたしに
愛ってさ
変わりゆく相手を受入れて想い続けることなのかな
って思うんだ
って言われたこと、思い出した。
小説の一節に
好きな人のために、空っぽの器になりなさい。
そうすれば
その人とずっと、死ぬまで、愛し合っていける。
最初から中身がぎっしり詰まった器には、もうそれ以上、何も入らないでしょう?
心の中に愛がぎっしり詰まった状態だと、本人も相手も苦しくなってしまうの。
絵を描く時には、最初からたくさん色のつい た紙じゃなくて、まっ白な紙を選ぶでしょう?
愛もそれと同じなのよ。白いところがあるから、それは絵になるの。
器も同じ、中が空洞だから、使い物になるの。わかる?
こないだ
イイネをくれた方のブログにも似たこと書いてあるのを読んだ。
嫌な記憶。出来事(記憶)でなく、
感情(エネルギー)
に集中することを意識すること。
そして、感情に集中してる時の感覚ってね…
無だよ
って書いてあった。
それでね。
こないだ
きみに弟さんと奥さんの仲の否定したあとから
ただ
おはようございます
おやすみなさい
だけの業務連絡的なメッセージしかこないから
もうね
会話もないし
これからは
無理して挨拶の連絡してこなくて大丈夫です☺️
おやすみなさい。
って連絡したら
もちろん
今朝は連絡来なかったよね。
そんなの
もう気になんないし
って
だって
気持ちがない挨拶のメールなんて
本当に意味ないじゃん
だったらいらないって。
話したいって気持ちがない人に
もう何の気力もわかないし。
なんて思いつつ
読書して
泣いてデトックスしてさ
きみは
きみなりに
こないだは遅くまで時間を作ってくれてたんだよな
とか
不自由な生活の中で
挨拶メール送ってくれてたのかも
とか
なんか考えちゃったよね。
小説の一節
わたしが怒ってふくれて拗ねて、アラシがなだめて、そのあとは
「もう絶対にこんなことしないで」「しない」「約束して」「する」「嘘ついちゃ、いやよ」「つかない」「絶対?」
「絶対」。
そんな会話をくり返しながら、わたしの洋服はアラシの手にかかって、脱がされてゆく。
それからふたり、もつれるように抱き合って「好き、好き、好き」と言いながら、まるで何かに追い立てられるように、愛を貪り合う。
こんなの読んで想像したら
なんだか、きみに会いたくなったりしちゃってさ。
でも
小説は
最後の喧嘩したあと
主人公は
彼に戻れないっていうの
嫌いになりたくないから。 好きなままでいたいから。 だから・・・・・・。
その気持ちもすごく、わかって。
だって
わたしの
この恋は報われないものなんだもの。
早かれ遅かれ終わるものだしね。
それで
結局
送っちゃったよね
この小説の写真と
最後が
四月になれば彼女は
とすごく似てた☺️
最近気付いたけど
わたしは
きみの好きな小説を知らない。
