「 この国のはじまりについて 司馬遼太郎対話選集 1 」
司馬遼太郎 (しば りょうたろう 1923~1996)
株式会社文藝春秋 2006年4月発行・より
フロンティアとしての東国 林屋辰三郎(はやしや たつさぶろう1914~1998)
[司馬遼太郎] 元禄以降に江戸から太平洋を通って八戸(はちのへ)へ行く
便(びん)ができたんです。
それに乗せて近江商人が行ったわけです
(略)
八戸という南部の地は、その頃の直前まで焼畑もやっていたところで、そういう土地にいきなり商品経済を持ち込んだ。
惨憺(さんたん)たる惨禍(さんか)が起こりますでしょう。
つまり南部の御家中に古着を売りつけてお金ができる。
お金ができたら今度は高利貸しになって農民に貸しつける。
そうすると農民は返済できないから、自分の山野を抵当に入れて流しますわね。
この間までの古着屋がまたたく間に大地主になっている。
大地主であり、高利貸しなわけです。
そうすると藩も、そいつから税金をとるほうが簡単だと (笑)。
民衆それぞれから税金をとるのでは、取り立て代がたいへんだ というので、大金持ちから取る。
そうすると大金持ちと藩が密着する。
そして民衆をいよいよ奴隷化していく。
八戸では太平洋航路が開けるまでは自作農で、山野を焼いて蕎麦(そば)を蒔(ま)いて、あるいは稗(ひえ)を蒔いて、地力が衰えたら、また移っていくという、ゆっくり、のんびり古代的な平和な暮らしを、それまで農民はしていたわけです。
それが太平洋航路が開けて、商品経済がいきなり古代的生産状況の中に突入してきた場合には、高利貸しが成立する。
そして民衆は奴隷になってしまう。
高利貸しはたちまち大地主になってしまう。
(略)
いままで自作農でゆったり暮らしていた何兵衛は、いまはあわれな奴隷のようになっている 本来なら何世紀もかけて、酒を醸(かも)すようにできあがっていって、農村が商品経済の中でなじんでいく のですけれども、
いきなりだと たいへんなことになる。
それが江戸期における東北の大きな問題ですね。
奈良公園のサルスベリ 26日撮影
この頃は親子連れをよく見かけます、東大寺南大門
27日の奈良公園 車は徐行してました。
東大寺ミュージアム
猿沢池