「 穢(けが)れと茶碗 なぜ日本人は、軍隊がきらいか 」
井沢元彦 (いざわ もとひこ 昭和29年~)
祥伝社 平成6年7月発行・より
鎌倉時代、当時世界最大の帝国であった元(げん)、モンゴルが攻めてきました。
(略)
そのとき、どう対処したかが問題なのですが、結論を言えば、鎌倉幕府は、よくやりました。
モンゴル軍の本来の主体は騎兵であるのに、海を渡るのに馬をそれほど連れてくることができなかったために、歩兵が主体となったという点も、日本に幸いしました。
しかし基本的に、日本軍がよく奮戦したという事実は、これは虚心坦懐
(きょしんたんかい)に、素直な心で歴史を見れば、おわかりになると思います。
鎌倉武士がうまく戦ったから、元軍を撃退することができたわけです。
これがもう200年ぐらい前ですと、当時の平安政府は軍隊を持っていませんでしたから、危なかったかもしれません。
ところが、幸いにも鎌倉幕府という軍事政権であったために、この点は非常にうまくいったわけです。
ところが京都の貴族たち、いわゆる平安貴族たちは、日本が元軍の侵略を撃退したのは、鎌倉幕府の軍事力であるという事実を認めたくなかったのです。
確かに、後に神風と呼ばれることになった暴風雨があったことは、事実のようです。
というのは、敵側の記録にもこれが載(の)っています。
しかし、なぜその暴風雨が敵を潰滅(かいめつ)させる威力を発揮したかというと、元の兵隊が全部陸地で宿営せずに、船の中に戻っていたからこそ、船もろとも沈んでしまったわけです。
なぜ船に戻っていたかというと、それは日本軍が奮戦して、彼らを陸上に宿営させなかったからです。
だからこそ暴風雨が威力を発揮して、彼らを全滅させることができたのです。
(略)
平安貴族というのは何度も申し上げましたとおり、武士たちを徹底的に
蔑視しています。
(略)
となると、彼らが、元軍が全滅したという事実をどう考えたかは明白です。
つまり、日本が救われたのは武士の功績ではないと考えたかったのです。
ところが、ちょうど北畠親房の目の前で、足利尊氏たちが軍事力で鎌倉幕府を倒したように、実際に元軍を撃退したのは、鎌倉幕府の軍事力であるというのは事実です。
この事実をどのように否定すればいいか。
つまり、あれは武士たちがよくやったからではない。
武士たちが働かなくても、元軍の命運はすでに決まっていたんだという言い方です。
『神皇正統記』 の表現を借りれば、
「 モンゴル軍の命運はすでに決まっていたのだ。日本国が勝ったのは、
武士(鎌倉幕府)の力ではなく神の思し召しによるものである。
それなのに武士たちは、神の功を自分の功だと思い違いをしている 」
と、こうでも言うしかないわけです。
そうすると、実際に元軍を撃退したとき暴風雨が吹いたということは、貴族たちにとって非常にうまいこと だったのです。
つまり、こう言えるわけです。
「あれは軍事力で勝ったのではなくて、神風で勝ったんだ」 と。
その具体的な証拠が、一つあります。
それは当時の執権、つまり幕府の最高責任者である北条時宗に、朝廷がなんの褒美(ほうび)も与えていないことです。
外交的処理のまずさはあったにせよ、海外からの侵略軍を撃退した軍隊の長に、勲章が与えられなかったのです。
これは、かれら平安貴族が、武士になんの感謝の気持ちも抱いていなかったことを示しています。
日本以外の国では、まったく考えられないことです。
「 歴史の視点 ・ 上巻 」
編著者・ 林屋辰三郎 / 和歌森太郎 / 小木新造
日本放送出版協会 昭和50年3月発行・より
~ 太平記の世界 永井路子 (ながい みちこ 1925~) ~
歴史ものなど書いておりまして、あの前後の時代を少し調べていきますと、あの直前の鎌倉時代の天皇家はじつに無力なのですね。
その時流に流されるままになっていて朝廷の全体がひじょうに無気力、退廃的な生活を送っているのです。
たとえば 『とはずがたり』 という作品がございます。
これは後深草天皇に愛された二条という女性の恋愛遍歴の告白のようなものですけれども、後深草という人は、前に二条の母親とも関係があり、のちに二条が大きくなった時に、また関係をもつのです。
それだけではなく、二人の間のさまざまな経緯、その周辺の男女の関係なんかもひじょうに退廃的なのです。
これは亀山天皇も同じで、自分も異母妹と関係をもつとか、ひじょうにアンモラルな世界なのですね。
その当時といえば、蒙古襲来の時代です。
そういうことについては全く無関心な人が朝廷にたくさんいる。
まあ亀山天皇は 「敵国降伏」 の額なんか書いていますけれど、それ以上何もしていない。
政治の枠の外にいるから仕方がない、というのかもしれませんが、この無関心さは退廃というよりほかはない。
3月7日の奈良公園
後ろの黒い車は初代(1984年)のトヨタMR2でしょう。