幕末の下級武士の絵日記 | 人差し指のブログ

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「 漢字と日本語 」

高島俊男 (たかしま としお 1937~)

株式会社講談社 2016年4月発行・より

 

 

 

 大岡俊昭 『 武士の絵日記 幕末の暮らしと住まいの風景 』 (平26角川ソフィア文庫) を読む。

 

 

ここしばらくの間に何度めかである。 おもしろいから何度でも読む。

 

 

 タイトル通り武士の絵日記である。絵だけではなく文もついている。

 

 

 

 かいたのは武州忍(おし)藩の尾崎石城(せきじょう)という下級武士である。石城は字(あざな)のこと。

 

 

忍藩は今の埼玉県の北部である。群馬県に近い。

 

 

 

 日記は文久元年(1861)の六月から翌年四月までの分が残っている。

明治維新のすぐ前。石城三十三歳(数え)から三十四歳にかけてである。

 

 

独身で、妹夫婦の家に同居している。

 

 

 江戸の生まれ。現に母と兄が江戸にいる。

当人は忍藩の尾崎家の養子になってここに来た。

 

 

百石の中級武士であったが、四年前の安政四年(1857)上役に上書したため不興をこうむり、十人扶持(ぶち)に格下げされて養家を追い出された。

 

 

妹が忍藩の下級武士の所に嫁に来ているので、そこに同居させてもらっているのである。

(略)

 

 武士としての仕事は何もない。

 

もっとも武士というのは特に役職についていない限り誰でもそういうものだが、特にこの人はマイナスの烙印つきだからたまにお城へ顔を出す義務もない。 全くの用なしである。

 

 

 それじゃ毎日何をしているか。  友だちと会っている。

 

 

多くは武士仲間である。武士は上級(だいたい三百石以上)、中級(五十石から二百石くらい)、下級(それ以下)武士とあるが、忍藩の千人くらいの武士のうち上級武士はごく僅かであり、石城の友だちはいない。

友だちは皆下級武士である。

 

 

中下級武士も棒給によってランクがさまざまだが、差別視する者はいない。

 

 武士以外の友だちもある。たくさんある寺の坊主も友だちである。

 

 

町人の友だちもある。女の友だちもある。たいてい酒楼、つまり食い物屋や飲み屋のおかみである。

 

 

 石城はこれら友人と毎日会って、しゃべったり食ったり飲んだりしている。

場所は友だちの家のこともあり、石城の家に来ることもある。

 

 

石城の家とは妹の家だが、部屋が三つか四つのその小さな家の、一番上等の六畳を石城は占領している。妹の夫も友だちの一人である。

 

 

 石城の絵日記の絵は皆、友人が集まってしゃべっている絵である。

 

石城は絵が上手なので、それらどれも似たりよったりの絵がおもしろいのだ。

 

 

 考えてみると江戸時代というのはふしぎな社会である。

 

 

人口の相当部分をこれら仕事もなく用もない人間が占めている。

ハミ出し者や落伍者ではなく、社会の中核であり、知識層である。

 

 

それが毎日集まって雑談してくらしている。  

それに政府が給料を出している。

 

 

 

 

 

 

3月31日 光が丘公園(東京・練馬)にて撮影