鎌倉北条氏の統治技術と裁判   | 人差し指のブログ

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「 山本七平全対話 2 おしゃべり聖書学 山本七平他 」

山本七平 (やまもと しちへい 1921~1991)

株式会社 学習研究社 1985年1月発行・より

 

~日本の伝統と聖書     山崎正和 (まやざき・まさかず 1934~)~

           1977 『 日本人と聖書』 (ティビーエス・ブリタニカ刊)

 

 

 

 

山崎   私も、契約という観念に関する西洋人の考え方は非常に独特だ

             と思うのです。

 

 

             一方、日本人のほうも、おそらくは別の根拠から、その契約の観

             念に近いものをかなり早く発達させておりますね。

 

 

      それがどこまでさかのぼれるか正確な根拠はわからないのです

      けども、ほぼ確実なところは鎌倉幕府だろうと思うのです。

 

 

山本   そうですね。

 

 

山崎   といいますのは、実は北条氏の鎌倉幕府は非常に変わった性

      格の政権であって、ご承知のようにきわめて実務的で世俗的な

      統治をしたのです。

 

 

      血統のうえでの権威もなく、それから、武力としても決して第一等

      ではないところの北条という一族が、いわば官僚的な統治技術

      のようなもので抑えた政権で、具体的に言えば、正しい裁判を行

      うということで人心の収攬をしたわけですね。

 

 

      その裁判というのはたぶん、西洋的な意味での裁判というより

      は、仲介をして、仲をとりなすというようなものであったろうと思う

      のですが、それにしても、裁判が基本となって成立する社会で

      は、その判決の結果を守るという意味で、一種の契約の考え方

      が育ちやすいと言えるでしょう。

 

 

      これが、鎌倉期を通じてかなり広くしみわたっていたうえに、室町

      期になると日本には流通経済が発達して、これもまた契約の観

      念の成立に寄与したと思うのです。

 

 

 

      実際、このことは、桃山のころにキリスト教と日本人が接触したと

      きに、宣教師のほうからみても、かなり印象的なことだったようで

      すね。

 

 

      つまり、日本人はうそをつかない、それから商売上のいろいろの

      約束事をきちっと守っているというのは、たとえばアラブとかイン

      ドとか東南アジアを通ってきた宣教師の目にはかなり印象的に

      映ったようです。

 

 

山本   そうですね。これは非常に強く出ていますね。

 

 

山崎   もっとも、その場合の契約というのはあくまで個人の間の納得づ

      くであって、普遍的な存在との契約という観念は育たなかったの

      ですね。

 

 

      それにつけておもしろいのは、鎌倉幕府のつくった法律で、実は

      日本にはそれまでにもっと完備した 「律令」 という法律があっ

      たんですね、要するに中国から輸入してきた立派な法体系があ

      って、それをおもしろいことに、否定しないで棚上げにするので

      す。(笑)

 

 

山本   そうなのですね。これも実におもしろいんで、否定しないでちゃん

      と棚上げしていて 『貞永式目』 を公布してしまう。

 

 

      これは相当完備したもので、追加法を入れますと約九百か条あ

      ります。

 

 

山崎   ですから、あの武士の法というのは、法を新しく立てたとも解釈

      できますが、ある意味で言えば、法というものをカッコに入れて、

      個人の間の習慣というか、常識というか、そういうものに立脚して

      裁判をするぞ、という話なのです。

 

 

      そのかわり北条氏という権力者にはそういう常識や習慣の感覚

      が特に発達していて、武士の間に、めちゃなことはしないという

      信用があったのでしょう。

 

 

      あいつにまかせておくと、だいたいみんなが納得するところで話

      をつけてくれるという信頼があって、おそらくそれで関東武士団

      のむずかしい連中が結局は北条氏に従っていったのだろうと思

      うのです。

 

 

      もちろん、最終的には武力も使ってはいますけれども、とにかく

      北条氏が一頭抜きんでてくるかげには、そういう常識を使う能力

      といいますか、バランスの感覚が認められたのだろうと思うので

      す。

 

 

 

                      奈良公園の浮御堂  4月9日撮影