プラトンもいい加減なことを書く | 人差し指のブログ

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「歴史の使い方」

堺屋太一 (さかいや たいち 1935~)

日本経済新聞出版社 2010年1月発行・より

 

 

 

 アクロポリスのパルテノン神殿は第二次ペルシャ戦争の勝利を記念して紀元前447年にペリクレスが着工、前438年に完成した。

 

 

プラトン(前427~前347年)は、これが完成した直後に生まれたから、

真新しい神殿を見て育ったことだろう。

 

 

 

 ところが、そのプラトンが書いたエジプトのことになれば話が違う。

 

 

私たちにとっては、プラトンもエジプトのピラミッドも 「大昔」 だから、

プラトンのエジプトに関する記述は 「正しい」 と思いやすい。

 

 

しかし、ピラミッドができたのは紀元前2600年頃、プラトンがエジプトを訪れる2200年も前のことだ。

 

プラトンの生きていた頃から今日までに近いほどの時間が経っていたのである。

 

 

 プラトンがピラミッドについて書いていることは、今日の旅行者がパルテノン神殿について書くのと同じようなものだ。

 

 

これでは、プラトンその人に嘘を書く気はなくても、かなりいいかげんな証言や見聞が入り交じったとしても不思議ではあるまい。

 

 

 プラトンは、「ピラミッドの建設には10万人の奴隷が動員された」 と書いている。

大勢の奴隷のいたギリシャで生まれ育ったプラトンがそう思ったのも無理はない。

そして、それをのちの世の人々も鵜呑(うの)みにしてきた。

 

 

 しかし、今日の研究では、ピラミッドが造られたエジプトの古王朝期には奴隷がほとんどいなかったことが分かっている。

 

 

奴隷を養い働かせても、本人の生存に必要な分を上回る生産が期待できなかったからである。

ピラミッドは自由なる民衆の自発的な勤労奉仕で造られたのだ。

 

 

 

3月26日 北の丸公園(東京・千代田区)にて撮影