場あたり的な倒幕運動 | 人差し指のブログ

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「半日の客 一夜の友 丸谷才一・山崎正和対談11選

丸谷才一 (まるや さいいち) / 山崎正和 (やまざき まさかず)

株式会社 文藝春秋 平成7年12月発行・より

 

 

 

山崎    私が非常におもしろいと思ったのは、

       明治の志士の中にはある一つの強い定見をもって最初から最

       後まで一貫して行動した人物は一人もいないということです

       ね。

 

 

     わけても典型的なのは西郷そのひとです。

 

 

     彼が最初は島津藩士の立場に立って、諸藩の間で島津藩のため

     に行動している時点から、やがて日本という一つの国家を意識の

     中に置いて、ほんとの意味の国際社会の中で行動しはじめるま

     で、そのアイデンティティーの意識の変化は、いってみればきわめ

     て場あたり的なんですね(笑)。

 

 

     倒幕という思想が出てくるのはきわめて偶然的な事情によるようで

     す。

     はじめ尊皇攘夷といっているうちに、井伊大老があの安政の大弾

     圧を行う。

 

 

     このことが多くの人々に幕府の可能性を疑わしめた最初のきっか

     けになった。

 

 

     そのあと次第に幕府について絶望が深まっていくのであって、

     最初から幕府を倒して、天皇支配の統一国家にしようと考えてい

     た人もいないし、ましてや廃藩置県までやろうと考えていた人は

     だれもいないわけですね。

 

 

     そこでどの個人の軌跡をとってみても、尊王から公武合体、そこか

     ら倒幕へという間には、不思議な、論理的でない、意思の移行

     ある。

 

 

     また攘夷から開国へという、まったく正反対の決意も、じつはだれ

     も論理的に考えたのでなくて、成行きで生まれてくる。

 

 

     また、西郷は最初、島津久光によって沖永良部島に流されてい

     て、久光に対して当然、恨みと怒りをもっているはずなんだけれど

     も、一方、例の禁門の変で功績をあげ、久光から刀と陣羽織をもら

     うと、「これは永代の名誉である」 と手紙に書いたりします。

 

 

     そのあたりではまだ久光個人に対してすら、完全な絶望とか、

     怒りというものはないわけですね。

 

 

     そういう段階的な論理の発展というのは、褒め言葉を使っていえ

     ば自然科学的な試行錯誤なんですね(笑)。

 

 

丸谷   うまいこというね(笑)。

 

 

山崎   やってみて悪ければまた考える、というやり方で一貫して明治維

      新はおこなわれた。ですからそれは西洋流の革命とはまったく性

      質を異にしたものだと考えていいですね。

 

 

     西洋流の革命というのは、マルクス主義の革命もそうですし、ナポ

     レオンの革命ですらそうですけれども、最初にイデオロギーがあ

     り、一つの政体に対する青写真というものがあった。

 

 

     それについては動かない信念があったから、革命家は敗けたら敗

     けっきり、勝てば官軍です。

 

 

 

     ところが日本の場合、寄り合って相談しながらあっちへ行こう、

     こっちへ行こうといってるうちにだんだんと現状が成り立った。

 

 

     そういう意味ではわたくしは西洋流の革命がいわば宗教的革命で

     あるのに対して、日本の革命は自然科学的んです、実験化学的な

     革命だと思うんです。

 

 

     しかし、これを裏返していうと、ある短い時点の中では全員が裏切

     り者になるという宿命がある。

 

 

     西郷自身も島津久光から見ればたいへんな裏切り者なんですね。

 

 

     そして、西郷はやがて明治維新に対する裏切り者にもならざるを

     得ない。

 

 

     そういう必然性がすでに明治維新を用意する運動の中にあったと

     いう印象をもちました。

 

~西郷隆盛と大久保利通~(鼎談書評) 「文藝春秋」 昭和五十三年十月号

 

 

 

 

 

多摩森林科学園から高尾駅へ行く道(東京・八王子)です。4月9日撮影