「明治天皇を語る」
ドナルド・キーン (1922~)
株式会社 新潮社 2003年4月発行・より
衣類に関して、明治天皇は革命的でした。
即位後もしばらくは、宮廷の正式な衣装である束帯を着けていました。
浅沓(あさぐつ)を履き、頭には冠という姿です。
冠には天皇であることを示す 「立纓(りゅうえい)」 と言われるものが立っていました。
ところが、明治六年に髪を西洋風に断髪して、その後は洋服を着るようになりました。
ある日、侍従たちに髪を切らせた天皇が奥へ戻ってきたとき、
すっかり様変わりした姿に女官たちはびっくりです。
公家の元服には欠かせなかったお歯黒、眉書きも、近代国家にふさわしくないということで禁止します。
京都のある公家が皇居で天皇に謁見したとき大変驚いた。
なぜなら、ふと顔をあげたそこには洋服姿で椅子に腰掛ける天皇がいたからです。
廊下には絨毯が敷かれ、侍従たちは靴を脱ぐ必要もなく、
執務は椅子に座って行われていた。
もちろん御所で椅子に座る者など誰もいませんでした。
多くの保守的な人たちは、宮廷の急速な西洋化を快く思いませんでした。
建白書を提出し天皇の洋服着用中止を訴えるものまでいる。
西郷隆盛はそのものを呼び、「汝、未だ世界の大勢を知らざるか」
と一喝しました。
数年前の攘夷思想が吹き荒れていた時からは想像もできないほどの変革ぶりです。
一方で左大臣を務めた島津久光は、役人の大半が当たり前のように洋服を着ていることが我慢なりませんでした。
初めて洋服を着るときに、横浜から外国人の裁縫師を呼んで寸法を取らせましたが、以来一度も寸法を取らせませんでした。
天皇が太り気味になってからは、以前の採寸も役にはたたなかったことでしょう。
仕立て屋は大体の寸法でつくり、天皇はちょっとここが窮屈だとか、
緩いとか、そういうことを指示しただけです。
そのためピッタリのサイズだったことは一度もないのですが、天皇はまったく気にしない。
崩御の当日に皇后の許しを得て測られた結果によると、
身長は五尺五寸四分、約百六十七センチメートルでした。
当時としては大柄です。残念ながら体重は測られませんでした。
昨年12月3日 和光市内(埼玉)にて撮影