マスコミの「ラ」の問題 | 人差し指のブログ

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本を読んで面白かったところを紹介します

 

 

 

数年前、森繁さんは、某スポーツ新聞が鹿内(しかない)春雄氏の葬儀を報ずる際につけた見出しに、

 

 

 鹿内サンケイグループ葬、森繁ら参列

 

 

とあるのを見て、「些(いささ)かガクッときた」 のださうである。

 

 

「 『ら』 というのは、あきらかに役者の私に対する蔑視と見た。

恐らく文句を言えば、いやーあれは私たちの、あなたへの親近感ですヨーと、抗弁するだろう。 が私がいいたいのは、従来の習慣で呼び捨てでも結構だ、  でも、・・・・・・ら、というのは文章を書く人間のすることでは

ない。

例えば、森繁’たち’とは書けんのか、それなら目をつむる」

 

 

さう書いていた。

 

 

そしてわたしはこれを、俳優だから侮辱とか軽蔑とかいふわけではないと思ふ。

 

 

呼び捨て・プラス・「ラ」 ではないにしても、「****氏ら」 とか 「****委員ら」 とかの形で、ラはいたるところで使はれる。

新聞記者は、あのラは使つていいのだ、正しい用法だと思つてゐるのだらう。

 

 

 ところが森繁さんは、呼び捨て・プラス・「ラ」 のせいでいつそう刺激が強くなつたせいもすこしあるにしても、この ラ が失礼であることを敏感に意識した。 これは語感が正しいからである。

 

 

俳優は文学者と同様、一国の言語の教師なのだが、そのことを森繁さんの文章以上に示した例は最近めづらしかつたのだはないか。

 

(略)

 

といふ具合に、ラには何か、複数性以外の色調と、複数性と、二つの意味あひがまじりあつてゐるのですね。

 

 

大昔から、その、謙遜とか親愛とかいふ色調は、他人に使へば侮別になる。

 

あるいはすくなくとも、マイナス方向の感じになりがちである。

 

 

そのせいでたとへば 『大辞林』 は 「目上の人を表す語には付かない」 と断定するのでせう。

 

 

事実 「ぼくら」 とか 「われら」 とかなら言ふが、「あなたら」 と言つたら変でせう。

 

 

ごくまれに 「あんたら」 と言ふ人がゐるけれど、あれはかなり侮辱的である。

 

 

「彼ら」 といふのは、あれは they の訳語として無理やり作つたのだから仕方ないか。

「先生ら」 なんて言ひませんね、普通の場合。

「大臣ら」 とか 「首相ら」 とか書くのは、かなり程度の低い新聞でせう。

 

 

とここまで書いて、念のため新聞を見ると、いやーひどいものですな。

ラの使ひ捨てである。

 

 

「腹を抱へる 丸谷才一エッセイ傑作選 1」

丸谷才一(まるや さいいち 1925~2012)

株式会社 文芸春秋 2015年1月発行・より

 

                                        

 

 

この 「ラ」 問題については 2016年11月24日にも 『「悠仁さまら」

は敬称?蔑称?』 として書きました。

 

 

 

4月20日 朝霞市内(埼玉)にて撮影