『「おやじ」の正論 平成我鬼草紙』
石堂淑朗(いしどう としろう 昭和7年~平成23年)
PHP研究所2006年8月発行・より
思えばこの時期頃から我が日本は進路を間違えたことになるのだが、
少年の私は既(すで)にドイツの虜(とりこ)だったし、
当時の世相は少年にも圧倒的に反米だった記憶がある。
私など相前後して輸入されてきたドイツ映画 『ユンカース急降下爆撃隊』 に入れあげて、百パーセントドイツファンになっていたのだ。
この飛行機は二人乗りの小型爆撃機で、戦闘機のような軽快な機動性を持ち、
翼(つばさ)が固定車輪の所から上がっていて急降下する姿には得もいえぬ迫力があって、
その際には毎度ワグナー 『ヴァルキューレ』 の主題が扇動的に鳴り響いた。
映画館の暗闇でこの痺(しび)れるテーマをしっかり記憶に納めた私は、
映画が終わって外に出ると一目散家に飛び込み、五線紙に木琴を使って音符に写した。
この有名なテーマは永く深く記憶に止まり、
長じて大学に入り学生寮のテニスコートでマッチに興じている最中に、
隣接した民家から突如このテーマがラジオかレコードかいざ知らず聞こえてきて、
私は突然復活してきた記憶に捉えられてフリーズ、
ボールを打ち返しそびれて、一点失ったことがある。
魅力的な記憶が下意識からむくむくと蘇ったのだ。
ワグナー或(ある)いは音楽の威力乃至(ないし)魔力である。
視覚からの絵画彫刻の刺激はここまで強くは無い。
昨年11月20日 光が丘公園(東京・練馬)にて撮影