奈良時代の外国語 | 人差し指のブログ

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「研究史 日本語の起源」

安本美典(やすもと びてん 1934~)

勉誠出版 平成21年7月発行・より

 

 

日本人が、「外国語」 を意識した時期は古い。

 

 

720年に成立した 『日本書紀』 をひもとけば、「韓語(からさひづり)」 (朝鮮語のこと、敏達天皇記、十年[581] 十月条)ということばもでてくるし、

 

「訳語(をさ)」 (通訳のこと 孝徳天皇紀、大化五年[649]是歳(ことし)条)ということばもでてくる。

 

 

 

新羅から 「習言者(ことならひひと)」(日本語を学習する者の意味とみられる。 天武天皇紀、九年[680]十一月条)が来たという文も見える。

 

 

 朝鮮語は、あきらかに、外国語として意識されていたのである。

 

 

 

奈良時代には、日本語と朝鮮語は通訳なしでも話が通じたであろう、などという見解が、時おり活字化されている。

 

 

 

このような見解は、たんなる俗説にすぎない。 主観にもとづくもので、客観的根拠を欠く。

 

(略)

 

   日本語と朝鮮語との関係を深く追求した東洋史学者、白鳥庫吉は後に、およそつぎのようにのべて、概嘆している。

 

 

 

「私は、かつて、日本語と朝鮮語とのあいだには、かならず密接な関係があるはずだと信じていたので、

 

多年にわたって、この二つの言語の比較研究にしたがい、それによって、一般の人々の期待にこたえうるほどの結果をおさめようとつとめた。

 

 

 

しかし、事実は予想に反し、研究を進めるにしたがって、この二つの言語の関係は、疎遠なものであり、

 

はじめに期待していたような親密なものではないことを感じるようになった。」

 

 

(『白鳥庫吉全集』 第二巻「日・韓・アイヌ三国語の数詞について」岩波書店刊)

 

 

 

10月31日 中央公園(埼玉・朝霞)にて撮影