金日成親子が見た日本軍賛美の映画 | 人差し指のブログ

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英国人記者が見た 連合国戦勝史観の虚妄」

ヘンリー・S・ストークス(1938~)

祥伝社 2013年12月発行・より

 

 

 

~ シアヌークが北朝鮮で制作した日本軍の映画 

 

 

 

シアヌークがフランスの統治下で国王として即位したのは、18歳の時だった。

 

 

1945年 (略) 日本軍がカンボジアでフランス軍を武装解除すると、シアヌークはカンボジア独立を宣言した。

(略)

 

1955年 (略) シアヌークは、父に国王の座を譲って退位し、政治団体の総裁となり、総選挙で全議席を獲得して、首相と外相を兼ねた。

(略)

 

1970年 (略) 反乱軍が、クーデターを起こし、外遊中だったシアヌーク国家元首を解任した。

(略)

 

シアヌークは、アメリカとソ連の双方と対立していた中国の北京で、亡命政権を樹立した。

 

 

シアヌークは、カンボジアから追われているあいだ、金日成の食客として北朝鮮にも滞在した。

半分は平壌、半分を北京で過ごした。

 

 

私は平壌の郊外にある金日成の宮殿に招かれた時、偶然、シアヌークに会った。

宮殿は北朝鮮のためにシアヌークが建てたものだった。

(略)

 

シアヌークは昔から劇映画を製作して、自分が監督し、主演もする趣味を持っていた。

 

 

1969年にシアヌークが作った 『ボコールの薔薇』 という、作品がある。

平壌の撮影所で撮ったものだ。

 

 

はじめ金日成の肖像と、金日成を讃える字幕が出てくる。

台詞はすべて、朝鮮語に吹き替えられている。

 

 

映画はカンボジアのボコールに、民衆が総出で沿道に並んで歓迎するなかを、日本軍が進駐する場面から始まる。

(略)

 

 

映画の中の日本軍は、じつに規律正しい。

(略)

 

日本軍が来ると、民衆が 「解放者」 として狂喜して迎える。

 

 

フランス軍司令部の屋上から、フランス国旗が降ろされ、「君が代」 が吹奏されるなかで、日の丸があがる。

(略)

 

日本軍とフランス軍が交戦して、フランスの司令官が戦死すると、

丘の上の小さな教会で葬儀が催される。

 

 

長谷川大佐が参列し、柩が埋められるのを、挙手の礼で見送る。

 

日本軍人は敵にも手厚いのだ。

 

 

長谷川大佐の執務室の机の上には、軍装で白馬を駈られる天皇の御真影が、飾られている。

(略)

 

日本が降伏したという通信を受けると、大佐は町の恋人の家を訪ねて、ピアノで 「さくらさくら」 を弾く。

 

 

その旋律が流れるなかで、爛漫と咲き誇る日本の春、紅葉に染まった秋の山河、白雪に覆われた冬の風景が、次々と映しだされる。

 

 

シアヌークは、戦争に敗れても、日本の気高い精神が少しも変わらないということを、訴えた。

 

 

 

この映画の試写会には、金日成が長男の正日をともなってやってきた。

 

 

上映が終わると、二人がシアヌークに 「素晴らしい作品だ」 と口を揃えて賞めそやした。

 

 

私はこの話をシアヌークの側近から聞いた。

 

 

その映画も見たが、金日成も金正日も、東南アジアの国々が、日本に感謝していることを、学んだにちがいない。

 

 

10月21日 中央公園(埼玉・朝霞)にて撮影