hitosachiareのブログ

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🌷生まれたから生きている

「なんで生きているんだろう」
 
「なんで生まれてきたんだろう」
そのように考えたことはありますでしょうか。
何か使命があるのか。
何か理由があるのか。
日々の忙しさに対処するのに必死で
「何もできていない」と焦る……
そんな事はありますでしょうか。
 
命に課せられたものは何もないのだと
私は思います。
「生きてもいい」理由を探して
安心するために、人はそのようなことを
考えるのだと思います。
(私自身もそうです)
人も動物も植物も、生き物はただ
親の生殖行為の元生まれてくるのみです。
そこに崇高な使命などはありません。
ただ生まれ、ただ生きていくだけなのです。
 

🌷死ねないから生きている

ではなぜ生きるのか?
それは「まだ死んでいないから」に他なりません。
 
私は不眠症~うつ病時、何度も死のうと思いました。
生き辛さを解消するには死ぬしかない。
それしか選択肢はないのだと思っていました。
当時の私にとって、死は救済でした。
 
夜中ダムまで歩いて道に迷い
ドアノブで何度も首をつっては失敗し
人を殺して自分も死ぬ妄想をし
自殺方法が載っている本や論文を読み
失踪・凍死するために綿密に計画を練り
薬とお酒を多量に摂取して病院に運ばれ入院し……
入院した日は元旦で、病室で箱根駅伝を見ながら
「死ぬって、生きるより難しいんだな」
ぼんやり考えました。
そして、後で払わねばならない
多額のお金を思って後悔したものです。
 
理性が崩壊しない限り、脳は死に抵抗します。
また、身体も医療も
死なないように全力を尽くします。
私は自死できませんでした。
死に至るまでの道は本当に苦しく
強制力を働かせないと、また運がないと
到底耐えられるものではないと知りました。
 
そのような経験をし、今この話をしています。
ただ呼吸をし、物を食べ、排泄をし、睡眠する。
それがいかに難しいことか。
そして、それを当たり前に行えることが
いかに素晴らしい事であるかを
この身で経験しました。
なぜ、私たちはそれ以上の価値を
自身に求めてしまうのでしょう?
「生命維持活動に励む」
生命としてはそれだけで十分なはずが
人間社会において、
役割や立場が与えられることにより
「生命維持活動のみでは怠惰だ」
なってしまっていると感じます。
私たちはそうして
「生きる」ということに
何重も重りをつけてしまっている
と思うのです。
 
「死んでないから生きている」
それだけで十分ではないでしょうか。
生命として正しいと私は思います。
「つらい死にたい」
そう思うのこともまた正しいと思います。
生き辛いから生きるのをやめたいと思うことは
真っ当なことです。
ただ、自殺をしたかった私が言いたいことは、
自分で死ぬことは非常につらく
非常に難しいということです。
死ねないなら生きるしかなく
生きるのなら自分のために生きる必要があります。
今死にたい人からすれば、
酷なことを言っていると思います。
当時の私がこれを読めば、
一層死にたくなったかもしれません。
それでも私は伝えたい。
 
私達は生まれてきたから生きているだけ。
崇高な使命や理由はそこに必要ない。
死ねないのなら、
いつか死ぬ自分のために生きましょう。
 
ポジティブでなくとも良いのです。
呼吸をしているだけでも、
あなたは生命を全うしています。
今状態が悪い方は、呼吸と睡眠、
栄養摂取だけに努めてください。
少し良くなったら、以前好きだったことや
楽しいと思えたことに取り組まれると
良いと思います。
寝たきりだった私も、そのようにして
少しずつ乗り越えました。
命ある限り、自分のために生きてください。
 

🌷さいごに

与えられた生を全うしようと
人は知らず知らずのうちに自分を追い込みます。
「毎日生きているだけ」が
それほど悪い事でしょうか?
私はそう思いません。
生命維持、日常維持をするだけで
十分素晴らしい事です。
ただ、もっといきいきとして生活したいのなら
自分なりに楽しめることを探すと
いいかもしれません。
やりたいことがある
自分なりの使命があるのなら
そこに命を燃やしましょう。
しかし、崇高な使命や理由を持っていないから
活動をしていないからといって
自分を責めないでください。
「死んでないから生きている」
本来きっと、それだけで十分なのですから。
 
次回!
「好きなことをしましょう」
厳暑が続きますが、どうかお体に気をつけて🍉