「ゼブラーマン ゼブラシティの逆襲」を観た。
哀川翔主演で異例のヒットを飛ばしたヒーロー・アクションの続編。無法都市と化した近未来の東京“ゼブラシティ”を舞台に、ゼブラーマンが再び巨大な悪に立ち向かう(Movie Walkerより)。
今週の「タマフル」、賽の目映画は久し振りの邦画。「ゼブラーマン ゼブラシティの逆襲」。5月4日(みどりの日)、TOHOシネマズ府中で観て来ました。
仲里依紗のゼブラクイーンをスクリーンで堪能できただけで、映画館に足を運んだ甲斐があったというものだ。良くも悪くも、彼女の印象が強烈に残る作品だった。
もともと三池印のマスクド・ヒーロー物・第2弾であるからして、一筋縄ではいかないことは百も承知だが、基本的な骨格は意外とオーソドックス。記憶を失くした伝説のヒーローが、やがて自分の記憶を取り戻し、悪に立ち向かっていくというストーリーラインは、ヒーロー物のある種典型。ゼブラーマンとゼブラクイーンの関係は容易に想像がつくし、ラストに至っては、ほとんどどうでもよい。観客の興味はそんなところにはない。ゼブラクイーンを具現化したことにこそ、この映画の存在価値があるのだ。
仲里依紗は美人だが、しゃべるときの口元に特徴がある。上手く言えないが、口元が<下品>なのである。男としてとても気になるのだ。今回は、口元だけでなく全身<下品>で、観ている立場としてはタマらない。
この手の作品は、いかに魅力的な敵役をつくり出すかが成功の鍵といわれているが、名作「ダークナイト」同様、敵役のインパクトが強すぎて、ヒーローの影がとっても薄くなってしまったことは許さないといけない。
三池監督の過去作「ヤッターマン」も、実は敵役・ドロンジョの映画だったのと同様に、今作はゼブラクイーンの映画だったのだ。
そもそも、どうして市川新市(哀川翔)はゼブラーマンになれたのかという前作からの疑問や、最終的な敵の存在が途中からゼブラクイーンからエイリアンになってしまうという一貫性の無さとか、どうにかしてほしい点はいっぱいあるが、仲里依紗の妖艶な演技に乾杯したい作品であった。
10/05/04 14:15 TOHOシネマズ府中
今週の「タマフル」、賽の目映画は久し振りの邦画。「ゼブラーマン ゼブラシティの逆襲」。5月4日(みどりの日)、TOHOシネマズ府中で観て来ました。
仲里依紗のゼブラクイーンをスクリーンで堪能できただけで、映画館に足を運んだ甲斐があったというものだ。良くも悪くも、彼女の印象が強烈に残る作品だった。
もともと三池印のマスクド・ヒーロー物・第2弾であるからして、一筋縄ではいかないことは百も承知だが、基本的な骨格は意外とオーソドックス。記憶を失くした伝説のヒーローが、やがて自分の記憶を取り戻し、悪に立ち向かっていくというストーリーラインは、ヒーロー物のある種典型。ゼブラーマンとゼブラクイーンの関係は容易に想像がつくし、ラストに至っては、ほとんどどうでもよい。観客の興味はそんなところにはない。ゼブラクイーンを具現化したことにこそ、この映画の存在価値があるのだ。
仲里依紗は美人だが、しゃべるときの口元に特徴がある。上手く言えないが、口元が<下品>なのである。男としてとても気になるのだ。今回は、口元だけでなく全身<下品>で、観ている立場としてはタマらない。
この手の作品は、いかに魅力的な敵役をつくり出すかが成功の鍵といわれているが、名作「ダークナイト」同様、敵役のインパクトが強すぎて、ヒーローの影がとっても薄くなってしまったことは許さないといけない。
三池監督の過去作「ヤッターマン」も、実は敵役・ドロンジョの映画だったのと同様に、今作はゼブラクイーンの映画だったのだ。
そもそも、どうして市川新市(哀川翔)はゼブラーマンになれたのかという前作からの疑問や、最終的な敵の存在が途中からゼブラクイーンからエイリアンになってしまうという一貫性の無さとか、どうにかしてほしい点はいっぱいあるが、仲里依紗の妖艶な演技に乾杯したい作品であった。
10/05/04 14:15 TOHOシネマズ府中
「プレシャス」を観た。
2009年のサンダンス映画祭でグランプリなど3冠に輝いたヒューマンドラマ。苛酷で悲惨な家庭環境で育った16歳の少女が、1人の女性教師との出会いを経て希望を見出していく(Movie Walkerより)。
今週の「タマフル」、賽の目映画は本年度アカデミー賞をはじめ数多くの映画賞を受賞した「プレシャス」。4月25日(日)、立川のシネマシティで観て来ました。
「プレシャス」が描く世界は過酷な現実である。80年代のニューヨーク・ハーレムを舞台に、差別・貧困・虐待と現代にも通ずる社会問題が描かれる。しかし、この映画のユニークなところは、そんな悲惨な現実の只中に生きる主人公・プレシャスの絶望の姿を描くのではなく、希望を求める姿を描いているところにある。
3歳の頃から虐待を受け続けていたプレシャスは、人生の途中で何かを失ったのではない、もともと何も持つことなく生きてきたのだ。絶望することすらできない、自分の置かれた立場を正しく理解できていないからだ。映画の中でも、開巻早々の彼女はまるで単なる黒い物体だ。表情も無く個性も無い。
しかし代替学校に通いだし、レイン先生や学校の仲間たちとの出会いを通じて自分という存在を、そして自分を語る<言葉>を手にする。そしてプレシャスは希望をつかんでいく。ストーリーが進むにつれて、プレシャスに表情が生まれ、着ているものなどにも個性が生まれる。終盤に明らかになるさらなる過酷な運命に対峙することになっても、レイン先生の<言葉>や愛によって希望を失わない。
もともと、人間は希望が無ければ生きていけない弱い存在である。しかし、どんな過酷な運命にあっても、確かな希望があれば強く生きていける。そんなことを考えさせる作品だった。
10/04/25 15:50 シネマシティ(立川)
今週の「タマフル」、賽の目映画は本年度アカデミー賞をはじめ数多くの映画賞を受賞した「プレシャス」。4月25日(日)、立川のシネマシティで観て来ました。
「プレシャス」が描く世界は過酷な現実である。80年代のニューヨーク・ハーレムを舞台に、差別・貧困・虐待と現代にも通ずる社会問題が描かれる。しかし、この映画のユニークなところは、そんな悲惨な現実の只中に生きる主人公・プレシャスの絶望の姿を描くのではなく、希望を求める姿を描いているところにある。
3歳の頃から虐待を受け続けていたプレシャスは、人生の途中で何かを失ったのではない、もともと何も持つことなく生きてきたのだ。絶望することすらできない、自分の置かれた立場を正しく理解できていないからだ。映画の中でも、開巻早々の彼女はまるで単なる黒い物体だ。表情も無く個性も無い。
しかし代替学校に通いだし、レイン先生や学校の仲間たちとの出会いを通じて自分という存在を、そして自分を語る<言葉>を手にする。そしてプレシャスは希望をつかんでいく。ストーリーが進むにつれて、プレシャスに表情が生まれ、着ているものなどにも個性が生まれる。終盤に明らかになるさらなる過酷な運命に対峙することになっても、レイン先生の<言葉>や愛によって希望を失わない。
もともと、人間は希望が無ければ生きていけない弱い存在である。しかし、どんな過酷な運命にあっても、確かな希望があれば強く生きていける。そんなことを考えさせる作品だった。
10/04/25 15:50 シネマシティ(立川)
「アリス・イン・ワンダーランド」を観た。
「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」のヒロイン、アリスの新しい冒険をティム・バートン監督が映画化。ジョニー・デップやアン・ハサウェイら豪華俳優の出演も話題に(Movie Walkerより)。
今週の「タマフル」、賽の目映画は大ヒット中の「アリス・イン・ワンダーランド」。4月23日(金)、109シネマズ川崎でIMAX・3D・日本語吹き替え版を観て来ました。
たまたま仕事が落ち着いて休暇を取っていたこともあり、川崎まで足を伸ばしたその理由は…、そうIMAX体験をしたかったからです。
IMAX。実はデビューだったのです。大きなスクリーンで、最高の音響。そして、3D映画につき物のメガネもとても軽いので、映画を、特に3D作品を観る環境としては最高でした。足を伸ばした甲斐がありました。
ちなみに「アバター」はXPANDで観たのですが、IMAXで観ていたら、また違った印象だったと思います。
さて「アリス・イン・ワンダーランド」ですが、ストーリーは典型的な成長譚で、子どもが大人になるための通過儀礼を、ワンダーランド(アンダーランド)での冒険を通して描くという、言ってみればどこにでもある話です。必然的に<見せ方>が勝負となります。
そのためか、作り込み方は半端ではなく、ワンダーランドの住人を演じる役者達は、演技者と言うよりも、映像の素材として出演している風です。でも、それを誰もが楽しみながら演じていることがスクリーンから感じました。3Dであることも含めて<人工的な>手触り感が印象に残ります。
「アバター」もそうだったのですが、「アリス」も「鑑賞」する映画ではなく「体験」する映画です。ビデオやDVDの登場で過去の映画を見ることは手軽にできるようになってきました。でもそれは、映画として公開されたものが記録された媒体でしかありません。映画館の追体験でしかないのです。ところが今のところ3D映画は映画館での経験を追体験することが非常に難しい。 3Dテレビの映像も見てきましたが、IMAXでの感動にはとても及ばない。 だからこそ、劇場に足を運んでほしいと思います。
最後に、この作品の新味を少々。
この作品は、古典の「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」をモチーフに新たな解釈を加えているので、こんなことを言っても仕方ないと思うのですが、この手の成長譚の主人公は「少年」であることが定番で、少女が主人公となり通過儀礼を経て成長するってところが今風です。この物語では、アリスは父を失っており、(成長した後)ビジネスの世界に飛び込み、ひとりで生きていくこと(=自立)を決心します。
これは、少年の成長に他なりません。少女に社会的自立を促すというところが、1865年の「アリス」では想像できなかった新展開ではないでしょうか。
10/04/23 14:30 109シネマズ川崎
今週の「タマフル」、賽の目映画は大ヒット中の「アリス・イン・ワンダーランド」。4月23日(金)、109シネマズ川崎でIMAX・3D・日本語吹き替え版を観て来ました。
たまたま仕事が落ち着いて休暇を取っていたこともあり、川崎まで足を伸ばしたその理由は…、そうIMAX体験をしたかったからです。
IMAX。実はデビューだったのです。大きなスクリーンで、最高の音響。そして、3D映画につき物のメガネもとても軽いので、映画を、特に3D作品を観る環境としては最高でした。足を伸ばした甲斐がありました。
ちなみに「アバター」はXPANDで観たのですが、IMAXで観ていたら、また違った印象だったと思います。
さて「アリス・イン・ワンダーランド」ですが、ストーリーは典型的な成長譚で、子どもが大人になるための通過儀礼を、ワンダーランド(アンダーランド)での冒険を通して描くという、言ってみればどこにでもある話です。必然的に<見せ方>が勝負となります。
そのためか、作り込み方は半端ではなく、ワンダーランドの住人を演じる役者達は、演技者と言うよりも、映像の素材として出演している風です。でも、それを誰もが楽しみながら演じていることがスクリーンから感じました。3Dであることも含めて<人工的な>手触り感が印象に残ります。
「アバター」もそうだったのですが、「アリス」も「鑑賞」する映画ではなく「体験」する映画です。ビデオやDVDの登場で過去の映画を見ることは手軽にできるようになってきました。でもそれは、映画として公開されたものが記録された媒体でしかありません。映画館の追体験でしかないのです。ところが今のところ3D映画は映画館での経験を追体験することが非常に難しい。 3Dテレビの映像も見てきましたが、IMAXでの感動にはとても及ばない。 だからこそ、劇場に足を運んでほしいと思います。
最後に、この作品の新味を少々。
この作品は、古典の「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」をモチーフに新たな解釈を加えているので、こんなことを言っても仕方ないと思うのですが、この手の成長譚の主人公は「少年」であることが定番で、少女が主人公となり通過儀礼を経て成長するってところが今風です。この物語では、アリスは父を失っており、(成長した後)ビジネスの世界に飛び込み、ひとりで生きていくこと(=自立)を決心します。
これは、少年の成長に他なりません。少女に社会的自立を促すというところが、1865年の「アリス」では想像できなかった新展開ではないでしょうか。
10/04/23 14:30 109シネマズ川崎
