眼差し
私の事をムカつくと思う人もいれば、いい奴だと思ってくれる人もいる。
自分っていう人間は1人なのに、相手のとらえ方によって、まるで私がたくさんいるみたいだ。
別に、どうでもいい人にはどう思われたっていいと思っている。キライたければキライたければいい。
でも、今日、大切な人に言われた言葉にショックを受けた。
私は、いきなり車のボンネットに乗っかって騒ぐような女なんじゃないかとか、
もしオトコに生まれてたら、見知らぬ人でも理性で抑えきれずに殴るようなオトコになってるだろうとか言われたので。
要は、私は変態な感じが漂う女で、しかもすぐキレて抑えられない怖い人間だと思っているらしい。
私はそんな奇行をその人の前でした事はないし、正当な理由もなく怒った事もないんだけどな。
実際にあった事じゃなくて、『こういう人間だろう』っていう想像の部分て、普段からその人が自分をどうみてるかっていう“眼差し”が反映されているものデス。
だから、『私のこと、そういう人間だと思ってたんだ・・・』と思って、なんだか夜眠れずにポロポロと泣けてきてしまいました。
私を愛あるマナザシで見てくれてたと信じてたのに、そんな冷ややかな視線で私を捉えていたと知って、とても悲しくて。
給食の集金袋が無くなって、親友に『アンタが取ったんでしょ!』と言われ、『そんな風に私を見てたんだ・・・』という時のような、寂しい感じ。
他に真犯人が見つかってから、『さっきのは冗談で言ったんだよ~ん!』って言われたって、もう遅い。
でも、私から受ける印象にそういう要素があったんだと思うから、素直に反省しなければいけないのかもしれない。
相手にしてみたら、私は変な女で、怖い女で、接してて、疲れたのかもしれないから。
もしかして、そういうストレスがあったから、想像だと仮定して、さりげなく私に警告したのかもしれない。
そうだとしたら、申し訳ないな。
でも、私の言動に対してクレームされるなら直しようも反省のしようもあるけど、これじゃ私っていう人間性を否定されているようで、生きている自信すら無くしてしまう。
でも、それが私の直せない部分だとして、私の本質的な部分を否定されても、私は私として生きていかなくちゃいけないのだから、ありのままの私でOKと思ってくれる人と付き合っていくしか生きようがない。
私の本質部分を受け入れられない人は、私を嫌いだってことだから。
私の直せない本質的な部分がイヤだったら、私は別人に生まれ変わる以外にどうしようもないのだもの。
今度生まれかわったら、もっと優しくて可憐な花のような女の子に生まれ変わりたいな。
でも、人間なんかに生まれ変われないで、せいぜいイトーヨーカドーの白い壁の塗料くらいにしか生まれ変われないだろうけどね。
バズの仕掛け 新潮流は“ヘタウマ”?
先日、映画『ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習』を観てきました!
カザフスタンのTVレポーターが、アメリカ各地を旅しつつ、おバカなレポートをするというモキュメンタリーで、かなりお下品だったけど、大爆笑!
(http://movies.foxjapan.com/borat/main.html )
でも、『エキサイトWeb AD Times』の以下記事にある通り、こういった、いわゆる“ヘタウマ”が昨今バイラルサイト手法の1つとして見られるようになりました。
エキサイトWeb AD Times
『ゆるい「ヘタウマ」が話題、海外Nokia N95のバイラルサイト』
http://www.excite.co.jp/webad/news/rid_348/
記事によれば、携帯電話メーカーのNOKIA、「涼宮ハルヒの憂鬱」のWebサイト「UFO団」にもこういった作りが見られるとの事。
さて、ではなぜ“ヘタウマ”がバズ手法として機能するのでしょう?
そもそも口コミには、大きく分けると2つあるように思います。
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①情報の信憑性を問われる口コミ
洞察力、批評力を顕示したい、人の役に立ちたい人などが発信し、 消費者として損をしたくない受信者がいて成り立つ口コミ
⇒商品そのものに対するバズが主流
(例)価格.com、@コスメ、アマゾンのレビュー系など
②面白さや嗜好性が問われる口コミ
笑いや希少性のあるネタを広めたい、話題創出者になりたい人が発信し、 面白いネタを楽しみたい受信者がいて成り立つ口コミ
⇒商品自体より、広告コミュニケーションにおける取り上げ方に対するバズが主流
(例)NIKEiD、ユニ・リーバ「AXE」、ブランデッド・エンターテイメント系など
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①が比較的自然発生、あるいはインセンティブに頼らざるを得ないのに対し、いわゆる口コミの原動力を活用したバズ・マーケティングとして、能動的に仕掛ける部類としては、②のパターンですよね。
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・非公式感 :一見、企業の発信情報に見えない
⇒消費者サイドで話題のイニシアティブを握る余地がある
・未完成感 :完成度が低い
⇒ツッコミの余地がある
・未到達感 :マイナーな雰囲気で、まだ知らない人がたくさんいそうな感じ
⇒自分が話題提供者になる余地がある
・不十分感 :情報提供が不十分
⇒足りない情報を集める余地がある (『これってどこで売ってるの??』など)
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つまり、上記①が、より納得感や忠実性、正確性が重要視されるのに対し、②のようなバズを生む仕掛けには、人がアクションを取れる“余地≒隙”が意図的に組み込まれています。
そして、“ヘタウマ”サイトは、上記のような条件が満たされているので、バズり心をくすぐる手法としてワークしているのではないでしょうかね。
(私もこうして思わずバズってしまいました。)
女心をくすぐる対照的なCM2本
最近、紅茶花伝 のCMにドキドキしている。
平井堅のBGM。ホテルの部屋でベッドに座る女性。男性が後ろから肩を抱いてミルクティーを唇の間に流し込む。これはかなり官能的なクリエイティブ!
男性が肩を抱いて女性の動きを拘束。なすがままになることで、男性との主従の関係が明確であり、更に液体を口に流しいれるという行為がセクシャリティを高めている。
つまり、このシチュエーションはMの女性が見たらドキドキするんですよ!
夏に向けてゴクゴク爽やか!は午後の紅茶のアヤヤに任せて、コカコーラは大人の男女の休息っていうコミュニケーションコンセプトなのか。(いや、ドキドキして休息どころじゃない)
まぁ、でも実際にベッドでこんな事されたら「ちょっと!こぼすから止めてよ!!」とか怒るよな普通。
それから、もう1本。
資生堂のTSUBAKI は、コーポレートブランドシンボルである椿を商品として立ち上げちゃったわけで、広告費50億って所からも、その気合の入れようがわかる。
内部組織も構造変化があったようですから、ブランドも再構築ってところなんでしょうか。
マキアージュに続く、きれいな女優、女優、女優~の畳み掛け。さすがのキャスティング力だな。無駄?という声も聞くが、私はこれがキモだと思う。
ひとり、ひとりが椿の花なんじゃないかな。咲き誇る椿の花群が風に揺れているような、そんな美しさと生命力を表現するには、6人の女優が必要だったはず。
そして、このCMは紅茶花伝とは対照的なメッセージを感じる。
女性達は自分を磨いて、春へ夏へと解き放たれて、男性の腕からするりと抜けるように、颯爽と自分の足で闊歩していく。
男性はそれを「美しい」と称えて後ろから見守る。SMAPの曲がそんなイメージを与える。
無駄なくらい名の知れた女優をキャスティングしてるからこそ、満ち溢れる女性の幸福感と自立性が表現できていると思う。
これは商品の宣伝じゃなくて、コーポレートブランディングの一環だからこそこんな贅沢な仕上がりにしてるんだろうな。
M心を刺激するクリエイティブも好きだけど、キレイになりたいっていう女のアドレナリンを刺激してくれる、このCMも私はスキだな。
◆おまけ◆
実はミルクティー苦手なのよね・・・
『ほっとけない世界のまずしさ』をほっておいてる私達
子どもをベッドで寝かせる。腕枕をする私の胸で安らかに眠る愛おしい子。
でも、ふと、こんな風にママの胸で眠るという当たり前のことができない子供達、そして愛おしい子を抱けない親たちに思いを馳せると、どうしようもなく涙があふれ出てきた。
貧困の世界諸国では1日4万人もの子どもが亡くなっている。
異臭とゴキブリが溢れるマンホールで寒さをしのぐ幼い兄弟。自分が居なくなれば家が楽になるからと、施設に預けられることを選ぶ子どもと、泣きながらいつまでも離れる事ができない父親。体を売って、妊娠して、独りマンホールで出産しながら死んでしまう少女。
私たちとの生活とは程遠い現実がある。
去年の夏、手首に白いシリコンバンドを着けている人が街に溢れた。
私も友人から貰ったけど、その意味を考えると一生付け続けなければいけないような気がして、それができないが故に引き出しの奥にしまった。
今、ホワイトバンドを着けている人は見かけない。
でも、やっぱり私も善人でも聖人でもないし、自分と自分の子どもが可愛い。ほんの少しの募金と寄付くらいしかしていない。
食事以外にお菓子も食べているし、くだらない趣味のためにもお金を使っている。それを我慢して寄付金に充てれば、数人の子どもの命が救えるかもしれない。
だけど、結局私は人の命より、あってもなくても死なないような事にお金を使って自分の生活を守る事を優先している。
だから、私が涙を流すこと自体、偽善かもしれない。
でも、私は思う。偽善だろうが、自分優先だろうが、自分のできる範囲の事を当たり前に続けていくということでいいのではないかと。
貧困救済を瞬間的なムーブメントにしてはいけない。美しく高尚な活動に仕立て上げて、金持ちが慈悲深さをアピールする手段にしてはいけない。
現実を知らなくてはと、女優が数日間現地に行って、子供達と生活を共にして、あまりの悲惨さに涙する。でも、私がその子ども達だったらこう思う。「どうせ自分の国に帰ってまた普通の生活に戻れるからいいよね。僕はこのままだけど。」と。一生そこで救済活動をする気もないなら、冷やかしなんてやめた方がいい。
一瞬だけやる気になるんじゃなくて、自分にできることを真剣に、ずっと続けていくことを当たり前にしていきたい、と私は思う。
永田議員がやらなかったこと
ライブドアの送金指示メール問題で、民主党の永田氏が国会内で記者会見をした。
コトの真相は分からないが、そもそもなぜこのような問題に発展してしまったのか。それは、友達以上の関係(?)だという情報提供者を妄信してしまったことのように思う。
『デビルズアドボケイト』という言葉がある。直訳すれば、『悪魔の使徒』。これは、ディスカッションの場で、あえて反論を呈する役を買って出る人のことを言う。
会議が盛り上がって、いいねいいねー!なんていうイケイケムードをシラけさせるとしても、
『問題ないっていうけど、本当に問題ないのか。』
『前提条件が○○に変わった場合はダメなんじゃないか。』
とさまざまな角度から無理やりにでも反論を出してみる。本当に最善の選択をするには、こういった『デビルズアドボケイト』が必要なのだ。
しかし、こういう『デビルズアドボケイト』な人を、『アイツは悲観論者だ』とか、『俺のことを非難しやがって』と思ってしまう人もいる。
でも、それは自分のやりがいやプライドを優先しているといえるので、プロフェッショナルではない気がする。
また、その場の空気や人情、信頼など、不確かなモノに流され、誰も『デビルズアドボケイト』できないというのも会議として破綻している。
いくら自分の提案でも、思い入れのあるプロジェクトでも、自分に帰属しているモノと考えず、一旦テーブルの上に乗せて、全員で客観的にもんでみるメンタリティーが必要だ。
ドラッガーも、『満場一致の案は採択すべきではない。正しい意思決定とは、相反する意見や異なる視点の衝突によって生まれる。』と言っている。
日本人はおそらく『What if~?』(もしも~だったら?)と考えることが、相手への反論だと解釈しがちなのだろう。だから、違ったケースを想定したり、相手が提示している以外の可能性を探ることは、信頼する相手に対する裏切りのようで、抵抗感があるのではないか。
でも、相手を信頼することと、事象を検証することは全く分離されている問題だ。
永田議員も、情報提供相手に信頼を置きながらも、別問題として、対象をさまざまな角度から探る『デビルズアドボケイト』になる必要があったのではないだろうか。
■おまけ■
鳩山さんも大変でしたねぇ。でも、鳩山さんのホームページのオープニングムービー 、怖すぎますからぁ!!(これはシリーズ化されている。Vol.17 なんかも笑える!)
2月度 エンタメDay♪
今年は、毎日早く帰宅して子供との時間をたくさん作ることと、その代わり、月に一度、おもいっきり遊ぶエンタメDayを作ることに決めました。(何事もメリハリ)
さて、それで先週の金曜は、さっそくそのエンタメDay☆
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第1部は私の一番の親友であるWebプロデューサーのNさんとの呑み。
彼は今年本を出版するとのことで、その原稿の感想を聞かせてほしいということでした。
テーブルにテレコを置いて、会話を録音までしてました。
彼は、生物や音楽、芸術、サブカルチャー、車やカメラなどなど様々な分野に造詣が深い。そして、相当アホなこと好きだから、いつも一緒にバカなことばっかりしてる。
(同じ会社にいたころは、スパイごっことかいって、周りに内緒で交換日記をしていたなぁ~。(しかもドラえもんの絵日記で。))
・・・・・・で、私なんかが原稿の感想言える立場ではないので、ひとつ期待だけ言わせてもらいました。
それは、『著書を通じて、世の中の面白いコトの仕組みを後世に伝えていってちょうだい!』という事。
これから便利な世の中になるにつれて進むであろう、プロセスの中抜き→メカニズムの崩壊→オモシロさの欠如、という恐ろしい事態に、彼のような世の中の面白さの摂理を分かっている人が警鐘を鳴らして欲しいと思ったのです。(具体的なことはまた今度。)
そしたら、とても私の思いを理解してくれて、「なんか使命感沸いてきた!」って言ってくれました。
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第2部は久しぶりに六本木ベルファーレのSalsa Libre(みんなでサルサダンスを踊りまくるクラブイベント)に行ってきました!
コピーライターのS君と久々の再会。一緒に踊ると、すっごくうまくなってるのがわかってビックリ。
アースの宇宙のファンタジーのサルサバージョンがかかると、「この曲好きなんだ~♪」と言って、ぐわ~っとノリノリな感じのリードになって、こっちまで気持ちよくなって、ドーパミンをドバドバ放出。
サルサの面白いところは、男性のリードとgrooveで踊るところ。相手の気持ちが高揚してくると、そのノリが相手の手やら視線から、自分の体にビンビン伝わってきて、そのノリに自分もどっぷりと浸かるのが楽しい。
今回は1曲ごとに男性がちゃんと誘ってくれて、独りポツーンにはならなかったからよかったー。
でも、ある人は踊り終わると、胸元からメモ帳と赤ペンを取り出して、「連絡先教えてくれる?」だって!携帯とかならわかるけど、今時メモ帳常備ってどうなんでしょ~(笑)
その後、S君はその人のことを「赤ペン先生」と呼んで、一晩中ネタにしてました。(完)
どうしてもどうしても動けない時は
毎日の、ほんの少しの時間の浪費や、自分でも気付かないくらいの怠け心
時間というものは、そんな怠惰による失速に、必ず大きな代償を与えるシビアなものだ
でも、不思議なんだ
毎日ガンバッてガンバって、体が悲鳴を上げた時、悲しみで何も手に付かなくなってしまった時
完全に停止してしまっても
時間には
またゆっくり動けるようになるまで、優しく待ってくれる寛容さがある
時間は、追いかけないと先に行ってしまうけど、つまずいて倒れた時は待っていてくれるんだ
だから
どうしても疲れていたら、たまにはじっと立ち止まって休んでもいいんじゃないかな
TATOO入れて、半ば気絶
日曜、代官山のRIN-KG
でTATOOを入れました。
デザインと予約待ちで待つこと半年。やっと施術の日が来たんです。
ところが予測しなかった事態が・・・・・・(>_<)
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デザインは蓮の花。尾てい骨の上、腰のあたりに入れることに。
顔を穴に入れて座るマッサージチェアにまたがるようにして座らされると、ジーンズをお尻の割れ目までグイっと下げられ、消毒をしたり、染料や、歯医者さんのような怖い機械の準備。
そして、『ブイ~ン』という、やっぱり歯医者さんの機械チックな音を出しながら、いよいよ開始!
痛みは針のようにチクチクするものかと思っていたけど、まったく違った。肌を5ミリくらいの刀でめくられるような、重く熱い感覚。
でも、正直言って、こういう痛みに直面してみたかったんだ。この尋常じゃない痛みを、精神力でコントロールしてみたかった。
普段だったら、飛び上がって叫び声を上げてしまうところだけど、痛みと自分の体と対話するようにして、心を平静に保つ。
そうすると、確かに痛いけど、痛みを客観的に見れる。楽しかったことや気持ちよかった事を思い出してみたり、他の事に集中するようにしてみると、何だか乗り切れるような気になってきた。
「私、掴みましたよー!もう悟りの境地ですよ~。」なんて、強気に言ってみたりした。
なのに、始まって30分もしない頃、突然激しい吐き気に襲われた。
「すいません、なんか気持ち悪くて・・・・・・。お水いただけますか・・・・・・」
そう言ってるそばから、全身に大量の汗。体がぐったりと重くなり、息がハア、ハア、ハアと荒くなってくる。
「頭動かさないようにして。」
文身師のKさんは、そういいながら手早く施術部にシートを貼ると、自分でベッドへ横たわる力もなくなった私を抱きかかえて横のベッドへ寝かした。
1階のアシスタントに向かって、
「おーい、パスアウト。お水と塩持ってきて。」
と呼びかけた。
体が寒くなり、両腕がしびれ出した。でも、お水を一杯飲むと、吐き気はおさまり、少し落ち着いた。
「今の記憶はある?気絶の寸前だったね。」
どうやら、あまりの痛みに、私の体が防御反応として気絶を起こそうとしたらしい。
ぐったりする私に、薬だからと指に塩をつけて舐めさせ、ジュースを飲ませてくれた。
「このまま1時間くらい眠ろうか。」
「スイマセンでした・・・・・・。」
「こら。スイマセンなんて2度と言わないで。こういうのも含めてプロだから。」
そういって部屋を去っていったKさん、冷静な対処がかっこよかった・・・・・・。本当にプロですね。
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結局その日は蓮の葉の部分しかできませんでした。
でも、TATOOを入れることで体と対話したかった私にとって、気絶しかけた体験は、予想以上にはっきりと体の声を聞けた結果となりました。
そもそも痛みは体が発する危険信号なのに、それを無視するとあそこまでして私を守ろうとしてくれるんだ私の体は。
出産をした時、怪我をした時、風邪をひいた時、ボディピアスを空けた時。自分を異常な状態にさらした時に、私の体は私を防衛しようとして、私に危険信号を送ってくる。
その反応は宇宙レベルの力で私を守ろうとしてくれる、壮大な愛のエネルギーのように感じる。
人はみんな孤独というけれど、独りの個であることは、こんなに愛されている事なんだと思った。
でも、私は痛いのは大ッキライ!でも、痛いのが好きな人って、こういう命の証みたいなものに病みつきになるのかなぁなんていう仮説を立ててみたりしたのでした☆
信頼を得るってこと。
人の信頼は、日常の対応よりも、不測の事態における対応によって試される。
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松下電器産業㈱からDMが届いた。事故に至る危険性がある暖房機回収の通知だ。
全国47都道府県、約6,000万世帯に送付したという。2005年時点での全国世帯数は約4,800万世帯であるから、つまりは事業所も含め、全国民に漏れなく告知するぞという半端ない施策を講じたことになる。
年明けの正月番組ではひっきりなしに回収のCMをしていた。パナソニックのHPもナショナルのHPもトップページは同内容が大きく掲載されている。
Googleでは、『暖房機』、『石油暖房機』、『給排気筒』などのキーワードにアドワーズを買っている。
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確かに、排気ガスが漏れ出して死亡事故に至る恐れがある製品を世に出してしまったことは、起こるべきことではないし、それ自体は松下電器にとって、大変ネガティブな事態であることは間違いない。
しかし、これだけあらゆる手段を使って事故防止と回収に腐心している事実を付き付けられれば、国民はネガティブな印象よりも、不測の事態にも真摯に対応してくれる姿勢が強く印象付くのではないか。
不祥事を隠蔽した挙句、結局膿が出てしまった国産自動車メーカーや、逆に開き直って会見するビジネスホテル運営企業は、元の火種以上に国民に不信感を植え付けさせたはずだ。
今回の松下電器の姿勢は、ネガティブな事態を隠蔽するのではなく、それを梃子に、あえて自社のブランディングの機会に活用したような戦略的意味合いも感じる。いずれにしても、潔さと膨大なコストの伴う一連の対応はアッパレである。
(NHK不祥事の後にNHKから来たDMは、謝罪ではなく、受信料はいかに重要で払うべきものかを語る内容で、がっかり&キレそうになったっけなぁ・・・・・・。)
個別に対価を考えないから購入する
週間ポスト がネットで個別記事の販売を始めた。
多くの書店が消えていき、出版社への返本率はおよそ40%といった状況からもわかるように、書籍市場は縮小傾向にある。
そのような市場変化に伴い、新たな可能性を探るという意味で、記事単位でネット販売し、PC上で閲覧といった展開を試みたようだ。
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しかしながら、私は一見消費者の個別ニーズに細分化されたようなこのモデルに疑問を感じる。
このモデルに欠けていると思えるのは、消費者が週刊誌というものに、どのような価値に対価を支払っているかという理解である。
それは、消費者が週刊誌を購入する時、いちいち記事に対する対価を考えているかどうかという事である。
もちろん、電車の中吊りで“ホリエモン「黒い逆襲」”とか“浅田真央の……”などのタイトルを見て、その記事読みたさに週刊誌を購入する場合もあるかもしれない。
それでも、消費者は無意識に『電車の中で気分転換ができる価値』や『意図せず目にした面白い記事に対するお得感』といった複合的なメリットに対して、まとめて数百円を払っているのである。
厳密に『この記事は○○円です。』と突きつけられたら、いくら安くても週間誌を普段購入する時と違った躊躇を感じるのではなかろうか。
100円ショップを例に取り上げてみよう。
100円ショップには、原価が高いものも低いものもあるが、それぞれの利益率を変え、売価を統一している。これによって消費者はイチイチその商品の価値と対価を比べないので、思わずいらないモノまでたくさん購入してしまう。
これが、利益率を統一して、“ノートは80円。お皿は250円”と売価を変動させてしまったら、消費者は一品ごとに商品価値と対価がマッチしているか判断することになり、クロスセルは促進できないだろう。
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消費者のニーズに合わせて商品を細分化するのは好ましい事だ。
しかし、それらに対して個別に値段をつける事は、消費者に、これまでにはなかった細かい単位で“これに対して○○円払う価値があるのか?”という判断を迫る事になることを忘れてはいけない。






