ANOTHER DAYs

ANOTHER DAYs

JOCV23-1美術隊員hitomix活動日誌♪
モンゴル国立教育大学造形美術学部で先生してます☆
2011.6.20~2013.3.20

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さて、帰国して4月になって
どきどきしながら新しい職場で働きはじめています。

ちょっと一般の学校とは異なる環境に身を置く事になったため
戸惑いながらも、かなりのスローペースでゆっくりなじむことができているのは、
ありがたいことです。

そして、思いのほか私のモンゴル経験を理解して
それを利用できるようなこともあり、
帰国隊員としてはかなりいい感じのポジションであるかもしれません。
(いや、それなりにプレッシャーはあるのですが。。。)

それでも、いつまでもモンゴル臭を漂わせていけるわけでもなく、
2年ぶりの現場でブランク克服すべく
日々変化するシステムなど
新しく脳に刻まなくてはならないことがたくさんあるので
またいちからスタート!

しかも職場では下から数えた方がはやくくらいの若手(!)なので
もう一度!キラキラがんばっていこうと、そんな春です。

このブログも後半はなかなか更新が滞り、
読んでいただいていたわずかな人には申し訳なかったのですが、
今読み返しても、貴重な記録になったと思います。
自分の記憶はあまりあてにならないもので。。。

それでも記憶に残って、今後も自分を支え続けてくれるだろう
心の中の「モンゴル」をこれからも私の人生と絡めていけたらいいなあ
とそんな風に思っています。



日本に帰ってきました。
とうとう青年海外協力隊としての2年間も終了です。

日本のお米ってなんでこんなに美味しいのでしょうか?
生卵でTKG(たまごかけごはん)の出来る幸せ。。。
そんな些細なことが嬉しくてたまりません。

その一方、
帰国して10日間。
当たり前のように毎晩、夢ではモンゴルの日常の生活の中でした。
最初の2、3日は、目にも耳にもうるさくてたまらなかった
日本語の看板、広告。日本語の民放放送。CMCMCM。
情報が多すぎて頭が疲れてしまいました。

でも今は、だいぶ慣れてきました。もう大丈夫。

きれいだなー。きちっとしてるなー。
とばかり思っていた日本の街でも、
車がらんぼうな運転していたり、ゴミが落ちていたり、
そんな部分が目につくようになりました。

モンゴルにいた時にそういう部分に注意がいっていたからでしょうか?

そして、モンゴルでイメージしていた日本は
自分の中で、多少美化されていたことを思い知りました。
日本もまだまだ。よくなる部分はたくさんある。

そして今、モンゴルが自分の中でどんどん美化されつつあります。

人間の記憶なんていい加減なものですね。

服もすべて洗濯して、モンゴル臭もそろそろ消えたかと思います。

でも、モンゴルのにおいがふっと記憶の中でただよう瞬間もあります。

それを忘れて行くのが寂しくてたまらない日々です。



帰国前のあれやこれや。

引っ越し。
1年7ヶ月住んだ家。
UBの政府宮殿の2ブロック真北という一等地。
隣に警察署。でもいつも酔っぱらいが階段で寝ているという治安。
しばらく同居人(猫)もいた。
もったいないくらいの広い部屋の片付けは大変だったけど
学生が不必要なものをみんなもらってくれて
とても助かった。ありがとう。

帰国報告会。
まーきちんと準備もせずに、寝不足のまとまらない頭でしゃべったので
なんともまとまりのない発表となってしまった。
JICAのナショナルスタッフ(モンゴル人)の方が感想を
一生懸命に話してくれて、それが本当に嬉しかった。

隊員歓送迎会。
たくさんの隊員さんと過ごせる最後のひと時。
出しゃばって余興もやらせてもらった。
隊員の皆さんの千差万別の特殊能力には本当にいつも感服する。
今回最後に、「カントリーロード」の合唱をした。
沢山の人が演奏に参加してくれた。ありがとう。

「カントリーロード」 ~映画「耳をすませば」より~

カントリー・ロード 
この道 ずっとゆけば あの街に つづいてる
気がする カントリー・ロード

ひとりぼっち おそれずに  生きようと 夢見てた
さみしさ 押し込めて  強い自分を 守っていこ 

カントリー・ロード 
この道 ずっとゆけば あの街に つづいてる
気がする カントリー・ロード

歩き疲れ たたずむと
浮かんで来る 故郷の街 丘をまく 坂の道 
そんな僕を 叱っている

カントリー・ロード 
この道 ずっとゆけば あの街に つづいてる
気がする カントリー・ロード
  
どんな挫けそうな時だって  決して 涙は見せないで
心なしか 歩調が速くなっていく 思い出 消すため

カントリー・ロード 
この道 故郷へつづいても 僕は 行かないさ
行けない カントリー・ロード

カントリー・ロード
明日は いつもの僕さ 帰りたい 帰れない
さよなら カントリー・ロード


思えば、この曲との出会いは15歳の夏。
友達と二人で映画館に行った。
エンドロールが終わっても二人ともたちあがれなかった。
あの時の若い感受性を、
言葉で説明することは不可能だが、
その時から、私にとってこの曲は
大切な自分への応援歌になっている。

あれから、気づけば倍以上歳をとった。
あの時一緒に映画をみた友達は、
今はニューヨークで活躍する音楽家になった。
海外でひとりで頑張る彼女の存在に、私はいつも背中をおされている。
モンゴルに来る時もそうだった気がする。

モンゴルに来て、この曲を聞く時に
想い浮かぶ「故郷の街」は、日本になった。

そして、それは次第に、
モンゴルの風景と完全に重なるようになってきた。

おそらく日本に帰ってから
浮かべる「故郷の街」は、モンゴルだ。
ウランバートルや旅したあらゆる街の風景となっていくに違いない。

さ、一番お世話になった人たちに最後の挨拶をして、
そして私のモンゴルはおしまい。日本へ帰ろう。