2020年4月以降仕事から一切離れていても、暇を持て余したことが無い。
肉体的には全くアクティブとは言えないけれど、頭の中はいつも忙しい。
願いを叶える方法やら、思考を現実化する方法やら、量子力学やら、脳科学やらの本を読んだり、はたまたSadhguruというインドのグルの方に救いを求めたり、大愚和尚さんのお言葉から仏教の教えから何かを学ぼうとしたり、小林正観さんや斎藤一人さんに関するYouTube を見あさったり、何かしらの悟りや覚醒などどいうものが自分にやってくることを求めて過ごす毎日。
今思い出したけど、生前の父も松下幸之助の名言をプリントアウトしていた。
彼のデスクからそのコピーが沢山出てきた。
役に立たせることは出来たのであろうか?
父の苦悩を今一度感じる。
私がしばらく前から腑に落ちたと思えるものに、シュタイナー教育の七年周期説というものがある。
58歳の私は、「人生の完成」の時期にあるそうだ。
現在生きている物質の世界から死後の精神の世界へ向かう為の準備期間で、
63歳でこの時期を完結した後の人生はギフトとして生きていくらしい。
でも、そのためには私自身がこの世に生まれてきた使命を明確にしてそれを実行していかなければならないとある。
日々、しょうもない事に苛立ちを感じたり、言う事を聞いてくれない愛犬に声を荒立てたり、不意に発生するどうでもいい様なものに対する物欲や、変に気が小さくなって情けなくなる時や、未知の事象に対して自信が無いから逃げ出す理由を探している時や、全く意味のない勝敗にこだわって湧いてくる行き場所の無いイヤーな気分を感じたり、そんなネガティブ気分をコントロール出来ないでいる。
それでも最近はその一つ一つに目を向け、”なんでそうなるの”っと自分に問いかける。
本を読んだりyoutubeを観て、あ~そうか、これか!っと納得するも束の間。
次の瞬間、些細なことに一喜一憂したり、出所がハッキリしないイヤーな気分が湧いてきたりして、無理やり”ありがとう”やらの天国言葉を唱える。
さあ、63歳までに自分の運命とやらを全うしてギフトと思える残りの人生を生きる事になるのか。
信じよう。
頭の中が整理できないとき、私は空を見上げる。
運が良ければそれが満月で曇りの無い夜。
信じられないくらい美しく輝く月を見ていると、
今の今まで重く淀んでいた気持ちが澄んでいく。
自分の小さな人生の中に存在する小さな苦悩など取るに足らなく感じてくる。
そういえば、Netflix で観た『Jimmy〜アホみたいなホンマの話〜』で
ジミー大西も月とお話ししてたなあ。