おばあちゃんありがとう | 奄美の3匹のこぶた

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奄美大島での日々の暮らし、3人の子供たちの成長、おいしいもの… 小さな幸せをみつけて楽しく暮らしたいみみママのひとりごと☆

大好きだった鹿児島のおばあちゃん が元旦に天国に行ってしまいました




去年の年末、肺炎になり、グループホームから同じ系列の病院へ入院になり…


もう長くはないだろうと主治医の先生にも言われていました


95才なので、いつどうなっても…と覚悟はしていました




子供達が冬休みに入ったので飛んで帰ろうかとおもったのですが…


私が帰ってしまうと…おばあちゃんが、私の顔をみて安心して天国に行ってしまう気がして…


なんとなく帰るのをためらっていました  とにかくがんばって生きていてほしかったから…


年を超せないかも…と言われていたのに、がんばって大みそかを迎えて…


除夜の鐘をテレビで聞いた時は本当に神様に感謝しました


元旦の午後の飛行機で帰省する予定だったので、心の中で…


『あけましておめでとう…おばあちゃん、もうすぐ会いにいくからね…まっててねぇ…』と…いいながら就寝しました


元旦の朝…7時半過ぎ…


携帯がなって…


『おばあちゃんの心臓が止まったよ…』と妹からでした


おばあちゃんの最後に間に合いませんでした


頭が真っ白になって…全身の血の気がさ~とひいて…


奄美にお嫁に来た時から覚悟はしていたけど…『側にいてあげられなくてごめんねぇ…』と涙があふれていきました


午前中ばたばたといろんな準備をして…飛行機で鹿児島へ…


こんなに気の重い帰省ははじめてでした



おばあちゃんっ子だった私…おばあちゃんだけど、母親のような存在だったおばあちゃん…


教師として働いていた母の代わりにわたしたち姉妹3人の世話を一手に引き受けてくれていたおばあちゃん…


おばあちゃんのおかげで、学校から帰ってもさびしい思いをしたことがなく、PTAも病院通いの付き添いもおばあちゃん…


おばあちゃんは、料理も上手で、いつも愛情いっぱいのおいしい手料理が食卓にならび…


ぎょうざなども皮から手作りしてくれるようなおばあちゃんでした


母が仕事からかえったら、ほとんど夕食の準備ができている…

(そのせいか、母はいまだに料理が苦手なのです)


おばあちゃんが作った料理をもう一度食べたいなぁ…




大好きなおばあちゃんは、ただ優しいだけでなく…すごく厳しくこわい存在でもありました


幼稚園くらいの頃、おこられて、玄関から外にだされて、泣きさけんだ記憶もあります


隣のおばさんが見かねて『もう反省してるみたいだから入れてあげて…』と一緒に謝ってくれたこともありました



私が社会人になってからも、(その頃は父と母が転勤で実家にいなかったので)年頃の私たち姉妹を心配して


おばあちゃんが、実家にきてくれていたのですが…


門限は12時…


それを過ぎると…75才をすぎたおばあちゃんが正座して、実家の玄関で寝ないで座ってまっている…


20代の一番遊びたい時なのに…


合コンに行っても…職場の飲み会でも…11時40分くらいになったら…


『家が厳しくて…門限12時なんです…』と…そそくさと帰っていた私…


おばあちゃんの口癖は…『今日中に帰ってきなさい』でした


嫁入り前の娘が午前さまなんておばあちゃん世代には考えられないことだったのかも…



厳しくてこわい存在のおばあちゃんだったけど…


それ以上の愛情をたくさん、たくさんもらって…今日まできました



母は一人っ子の一人娘だったけど…


孫3人(私たち3姉妹)になって…


曾孫7人をみることができたおばあちゃん…


命が繋がって…広がっていっている…




元旦に天国に行ってしまうっていうのもおばあちゃんらしいね…


絶対忘れないし…それぞれお嫁に行った孫たちもお正月なら集まりやすいと思ったのかも…


ありがとうって何度いってもたりないけれど…


おばあちゃん本当に本当にありがとう