私の鹿児島のおばあちゃん、3匹のこぶたのひーばーちゃんは、今、94才…
今、入院中です
ひーちゃんが、2才のお誕生日を迎えた日に倒れて、入院して…
それから、病院と施設をいったりきたり…(もう、5年以上たちます…)
もちろん、私の母も毎日のように、朝晩行って、介護していますが…
おうちに帰れる状態ではないようです
この歌をきくと…おばあちゃんを思い出して…涙がでてきます

うちは、両親ともに、教師で共働きだったので、学校から帰ると、母親ではなく、おばあちゃんが待っていてくれました
PTAにもおばあちゃんがきてくれていました
熱がでても病院におばあちゃんが連れて行ってくれていました
母親より、おばあちゃんといる時間が長かった…まさしくおばあちゃん子だった私…
おばあちゃんの作ったごはんで大きくなった私…
おばあちゃんのおかげで、好き嫌いのない、健康な大人になれたと本当に思っています
小さい頃は、煮物や、おばあちゃんの作るけんちんなんて…あまり好きじゃなかったけど…
今、無性に食べたくなります
もうお料理なんかできる状態ではないのだけど…
私が20代後半から、結婚するまで3年間ほど、おばあちゃんの家で暮らしたことがあります
おばあちゃんちは、4階建ての4階にあって、エレベーターなし!
その家を建てた時は、自分が将来年をとって足腰が痛くなるなんて考えていなかったそうです
おばあちゃんは、自分の家があったのですが、私達孫の世話のために、うちに一緒に暮らしていたのです
私達が成人してからは、おばあちゃんは、自分の家に帰ることが多くなったのですが…
80代後半になり、買い物したものを4階までもってあがるのがきつかったり、ゴミだしひとつにしても大変になってきて…
と言う話をきいて…私は、おばあちゃんと一緒に暮らそう!って思ったんです
少しでもおばあちゃんの役にたちたかったし…
おばあちゃんちは、1階は、テナントでお店に貸していて、2階と3階は、ワンルームの部屋を
何部屋か大学生などに貸していました
ちょうど、一部屋空いたのでそこをかりて…
ごはんは、おばあちゃんと一緒…という生活
おいしいと評判のお店をみつけると、必ずおばあちゃんを連れて行っていました
おばあちゃんも私もおいしいもの食べるのが大好きだったから…
今考えると、最後のおばあちゃん孝行ができた幸せな時間だったんですよね…
おばあちゃんが入院したての頃、
「みみと暮らしてたあの頃が一番楽しかったよぉ…」って言ってくれたのがとってもうれしかったぁ…
悲しいけれど…今は、多分、そのころの記憶もないんじゃないかな…
結局、奄美に嫁ぐことになったので、大好きなおばあちゃんにも、年に2~3回しか会うことができなくなりました

ひーちゃんを妊娠したころ、おばあちゃんが、
「トイレをぴかぴかに掃除しなさいよ~かわいい子が生まれるから…」っていったのをこの歌をきくと、思いだします
今は私がお見舞いに行って
「みみだよ~奄美から来たよ~」って言っても3分後には、もう、
「あんたはだれけ~」っていう感じで…少し悲しくなりますが…
今は、寝たきりでも、わけわからなくても、生きていてくれているだけでいいから…
って思っています
この歌をきくと、おばあちゃんと重なって… 涙がでます
おばあちゃん、もうすぐ、ひ孫を3人連れて帰るから、待っててね
