学校へ行きたくなかった自分、集団に馴染めなかった気持ち、不登校気味だったことをふりかえって書いています。
同じような経験をした&まさに今している人、またその人たちを見守っている周りの方に読んでいただけたらなあとゆっくり更新しています。
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調理実習のある日が、怖くて行けなかった。

まだ、学校を休んだりはほとんどしていない頃からも、調理実習のある日は、体調が悪いふりをして、欠席していた。

本来私は調理実習は好きなはずだった。小学生の時も、学校で自分で作ったものが食べれられて、感動して、家でも作ってみようとしたりしていた。

それが、怖くて行けなくなったのは、中学二年生の途中から。
調理実習は、班の人との共同作業だったからだと、今は分かる。

中学一年生のクラスでのことだった。
このクラスでは、特にいじめられていたという記憶はない。でも、友だちのグループには入れていなかった。休み時間はどうしていたのだろう。クラスで誰かと遊んでいた記憶もない。
調理実習の私の班には、私があまり話したことのない女子たちがいた。(班はなぜか男女別で、私の班は女子だけだった。)それでも授業だから、協力して、みなで作らなければならないはずだった。

この日のメニューは味噌汁とハンバーグだった。
私の班の人たちは、先生の説明が終わって作業が始まるとすぐに、どこかに行ってしまい、しばらく帰ってこなかった。私は一人で材料を手順に沿って並べて、みなが来たらすぐできるように待っていた。それでも帰ってこないので、お箸を並べたり椅子を並べたりした。先生が見回りに来ても、私だけいるのがおかしく思われないように、動き回ってごまかした。何で、一人でいるのか問われるのが怖くて、みんなトイレにいってる、と答えようと心の中で準備していた。

10分以上もたった頃、みなは帰ってきた。私が用意した材料で作り始める。
「どこ行ってたの?」と聞いたけど、誰も私の方を向かなかった。もう一度聞いたけど、ハンバーグどうやって作るのか盛り上がっていて声が届かなかった。私は話しかけるのが怖くなって無視されていると気づきたくなくて、口を閉じた。
調理を囲む輪の中に私だけ入れなくて、みなの背中越しに、のぞいていたけれど、何も見えないので、反対側の流しに行って、意味もなく調理用具を洗ったり、お箸やお椀を棚に取りに行ったりしていた。長い長い、私一人だけ無言の数十分が過ぎて、私が参加しない間に料理はできあがり、食べる時間になった。

私が準備していたお箸やお椀をみなに差し出すと、みなは私の方は一切見ず、
「お箸とか準備しないとねー」
と言って、取りに行った。
「もうここにあるよ。これ使ってよ」
と言っても聞こえなかった。
班の人たちは新しくお箸やお椀をとってきた。
私が持ってきたものはそのまま台の上に置かれていた。
気づいていないんだ、私の声は小さかったんだと思おうとして、黙っていた。
班の人たちは、彼女たちの分をよそった。回りの他の班も食べ始める体勢に入っていた。そして、椅子についた。先生も、いただきましょうと言った。
でも私の分はよそわれていなかった。
私はいただきますが響く家庭科室でひとり立ち上がり、鍋にかすかに残っていた自分の味噌汁を入れた。お椀に半分くらいだった。ハンバーグはなかった。
視界の隅で、先生は一番前の遠くの席で食べているのを見て、私のこの現状が見つからないですむ、と思った。
言葉にできない思いが心の中にいっぱいになりすぎて震えそうになるのを抑えて、両手でお椀を持って椅子のところに戻ろうとしたところで、床につまづいて前にこけた。
何メートルも向こうで、味噌汁の入っていたお椀がカランカランと言ってまわっていた。
味噌汁は床の上に広く飛び散っていた。
恥ずかしい、と思ったけれど誰も見ていなかった。
誰からも「大丈夫?」とも言われなかった。

静かに廊下に出て、手洗い場にあった雑巾を持ってきて、飛び散った味噌汁を拭いた。
何度も雑巾をゆすぎに行って味噌汁のしみこんだ床を拭いた。
制服のスカートにも味噌汁の臭いがしみこんでいた。
拭き終わる頃にはみな食べ終わっていた。
誰も私のことを気にしていなかった。見えていないようだった。

この話をずっと誰にも言わなかった。恥ずかしかったのもある、誰もかもが見ていないようにしていたのが、自分自身に受け入れられなかったのもある。
でも、この日以来、私の存在は無視されているのかもしれない、と怖くなった。

クラスメートにも、真実を知るのが怖くて、また声かけて無視されるのにもあいたくなくて、聞かないまま、時が過ぎていった。

それから、年に何回かだけある調理実習の前の日は、念入りに家で材料を揃えて練習までしたうえで、必ず欠席するようになった。
“本当は明日の調理実習楽しみなんだ、みなが作る料理、私も作ってみたいんだ、でも体調が悪いから欠席するしかなくなったの。残念なんだ。”
何となく、母にも学校にもそんな気持ちを精一杯伝えた上で、体調不良を演じて欠席していたのかもしれない。
とても言葉にはできなかったけれど。
さらに、調理実習がいやだから休んだのではないです、という証明として、また、欠席しても評価を落とさないでほしいという切実な願いもあって(オール5でないといけないという強迫的な思いがあったため)、調理実習後のレポートとして、家でやってみた結果を絵を混ぜて感想や気づいたことを細かく一日かけて書き上げたレポートを勝手に書いて提出までしていた。

私なりのSOSだったのかもしれない。
3年間、誰もそれを、拾い上げて声かけてくれることはなかったけれど。
何度調理実習の日だけ欠席しても、その詳細すぎるレポートに花丸がついて返されるだけだった。
それは仕方ない。
元々優等生の私。
提出物が、きちんとしているのは先生にとっても親にとっても当たり前のことで、調理実習の、レポートだけ特別な意味がこめられていることには気づかれなかっただろう。いつもの真面目さん、さすがだねー、で終わっていた話なのだろう。