私の父は
私が13才、中2になる前の春休み
4月3日、日曜日に死んだ。
46才
急性心不全
のちに
父の会社の医師と私の母が会い
死んだ時の状態等を報告し、
会社医師が告げた病名は
解離性大動脈瘤かと思う
とのことだった。
私は
父の死を、亡くなった、とは言いたくないし
言わない
(そう言う時は、よそ行きの自分の時だけ)
父は、死んだ
亡くなっただなんて
そんな綺麗な言い方なんて、したくないと
死を目の当たりにした、13才の私は思ったし
今でも、あれはそうだったし、36年間ずっと思ってる
これからも、変わらない、きっと
父は、死んだ
父は群馬県出身
お寺の息子、長男
長男だけど跡は継がず
お寺は、次男が継いだ。
父は東京の大学に一浪で進学し
ゼネコンに入社した。
先日
父のお墓参りに
家族5人で行ってきた。
あーちゃんを出産した後
コロナ禍となり
お寺の親戚家族の事情や
夫の多忙さもあり
最後にお墓参りに行ったのは
2019年5月、私が臨月の時だった。
父を想わない日は、一日も無い。
子供達の健康を
毎日、父にお願いする。
私は父を想い
父との日々を想い出し
毎日心で、父と会話をする。
私は無性に父に会いたくなり
夫に話し、子供達に話し
群馬へ、父に会いに行くこととなり
行く日を決めてからは
日々、心待ちにしていた。
そして
5年ぶりの群馬
5年ぶりのお墓参り。
でも
事情はあれど
5年も、群馬に行かなかった
5年も、お墓参りに、行っていなかった。
夫に、診断が出た。
上手く言えないけど
その前も、色々あったけど
診断は、突然だった。
なんかね
パパがちょっと怒ったのかな……と
5年も行ってなかったから
パパ、怒ったのかなと
私は思ってしまいました。
でも
冷静になった時
私のパパは
そんなちっちゃな男じゃなくて
心大きく
明るくて
いつも
○○
ガーーッツ!
!
って
私の名前と共に
笑顔で
こんな![]()
手を
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![]()
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しては、
こんな小っ恥ずかしいことを
笑顔で言ってくる人
だから、
違うか!パパごめん!これも運命!宿命!人生厳しいなーー!!💨
って
受け入れれたんだよね![]()
反抗期
パパが死ぬ前の、中1の私の1年間は
そんな明るいパパが無性に嫌いで嫌いで
今で言う
ガン無視していた…(((TOT)))
お墓参り
ずっと行けてなかったことを
パパに謝った。
そして
私は、パパに助けを求めた。
頼って、祈って、甘えて、願った。
助けてほしいって
パパに泣きついた。
いつものように
みんなでお墓を掃除して
子供達と、夫と、私と
パパと……
楽しい時間を過ごしました。
親戚家族とも、久しぶりに
楽しい時間を沢山過ごせて
私は、しあわせだった。
夜は
子供の頃の想い出の旅館が横に見える
新しく出来ていた別館のお宿に
5人で泊まり、
次の日は
こんにゃくパークへ行った。
夫が多忙すぎて
今年の夏、行けなかった
家族旅行をした。
家族が健康で
家族5人で毎日過ごせるって
奇跡ですね。
人って
何かが無いと、忘れちゃう。
こんなに生きてきてるのに
パパはある日突然死んだし
他にも
辛いことなんて沢山あった人生なのに
私は忘れていた、今の奇跡の尊さを。
夫は
先週、入院した。
今週も、入院する。
その後は
通院が、はじまる。
前向きな、通院!!!!!
夫は
仕事もするし、運転もするし
家族とも過ごすし、普通に暮らす。
でも夫には
病気がある。
私の夫は、病気がある。
子供達にも、話した。
全てではないけど、話した。
これからのことは
誰にも分からない。
一日一日を、大切に大事に
時には打ちのめされながら
私達は、生活していく。
夫の病気が分かり
ひとつだけ良いことも、あったかも。
私は夫が好きで
私は夫を失いたくなくて
私は夫を嫌いじゃなかった。
分かって、良かった!!
これからもずっと
支え合って、生きていく。
2024.11.21
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娘
職場体験弁当
















