こんにちは。誰もみていない片隅で、今日は久々にブログを書いてみる事にしました。
最初がネイサン、次が昌磨君と来たら次ははにゅー君!王道…笑
今回四大陸にいつものナンバーで現れるとのことで、そのニュースとそれに対する反響について色々思うところがありましてブログにしてみました〜
(わー、パチパチ)
噂によるとSPは4シーズン目、FPは3シーズン目とのことで賛否両論あるみたいですね。そして、それと比較して昌磨君のトゥーランドットの方が演じられてる回数は圧倒的に多いよ!などと言われてるらしい。ふむふむ…まあ昌磨君のトゥーランはシニア1年目と3年目は随分変更が加えられてるので同じとは言えないけど…
まあよしとしましょう。
たしかに昌磨君のトゥーランっていっぱい見た感じする…
そう、はにゅー君は昌磨君に比べると圧倒的に試合数が少ないんですね〜それに気づいてしまいました…
いや、前から知ってたか…でも数字にすると(面倒臭いから各自調べて…)ほんと少ない。
レア感がすごい。
という事はつまり、プログラムをブラッシュアップする機会が少ないのですよね。
だから滑り慣れたプログラムで何度も滑りたくなるのかな?と思いました。
しかしはにゅー君はなぜこんなに試合数が少ないのか?私はそれにたいする一つの回答を持っています。
え?何故かって?
それは…
それは彼のエネルギーがみんなより全然少ないからでーす!ジャーン!!
…失礼ね、そんな事ないわよ!ゆづは凄いエネルギーに満ち溢れてるわよ!!
という羽生ファンの怒りの声が聞こえてきそう…いえ、そういう意味ではないんですぅ。しくしく…
えーと、そういうわけでここからはちょっと東洋思想のお話になります(えぇー)。
私は算命学というのを少し齧っておりまして…算命学?なんだそりゃ。な方には申し訳ないんですが、中国四千年の歴史的な占いかな…ベースは東洋思想です。はにゅー君ファンからおなじみの陰陽五行論などがそれです。おおっ、まさにSEIMEIやん!!
そんな東洋思想をもとにした占いが西洋人に当てはまるのかはわからないんですが、東洋人にはあてはまるのかなと思っています。ネイサンもルーツは中国だから、当てはまりそうだと思ってます。
その算命学で本人の持ってるエネルギー量(スタミナみたいな事)を調べられるんですね。なんとまあ。
そしてこれははにゅー君のファンの方ならよくご存知かもしれませんが、彼って最身弱なんです。
ちなみに昌磨君は最身強です!
エネルギーが高い順に
最身強、身強、身中、身弱、最身弱となっておりまして…
ね?だから言っただけなの…私が言ったんじゃないのです。文句は中国人に言ってくれ…
でも言われてみるとそんな気がしません?こないだの連戦の疲れとか、アイスショーもあまり出なくなったりだとか、振り返ってみるとそうかも…って思えてきません?怪我も多かったですよね?手術もしたし、インフルにもなったよね?
なので彼は効率よく練習したりとか、呼吸器系を鍛えたりとかしてると思うんですが、でも生まれつきのスタミナは少ないのです〜
例えば小さい頃の昌磨君みたいに何百本もジャンプ跳んだら身体が壊れちゃうの…きっと…
昌磨君は身体が丈夫などっしり感ありますよね。あれが最身強って感じなんでしょーね。身強の人はめっちゃ地に足ついてるらしいです。わかるー。
ちなみにネイサンは身強です。細身だけど筋肉質だし風邪ひいて2週間寝てたのにあれだけの演技が出来る。タフですよね。
そんな人達の中で彼(羽生くん)がこうやって試合数を少なくして効率よく勝ちを積み重ねられたのも、周りのサポートと本人の精神力と賢さなんじゃないのかなぁと思います。
そんなわけで何が言いたかったかというと、はにゅー君は自分の持ってるコマの中で最大限力を尽くしているんですね。
ちなみにこのスタミナを判断する上では人間のライフサイクルが参考になるので、身弱って聞くと弱々しいイメージですが、身弱の人は肉体より魂よりの存在なので精神力が強かったり身体が軽かったりするんです。だからジャンプが得意だったりするんじゃないでしょうか。ね?いい事もあるの…(๑˃̵ᴗ˂̵)
一人一人持ってる能力が違ってその人に合わせた戦略があると思うので(あとはフィギュアスケートに対する美学?)、暖かく見守りたいなと思っております。
あ、ちなみに我らがネイサンはとっても芸術性の高い人なんですよ〜(知ってたけど)
彼は本質(魂)部分と社会に見せる姿が同じなので、裏表のない人です。自分を表現する事を強く求めているので、音楽もフィギュアも向いているなぁと思います…
あ、他の選手の話をすると長ーくなっちゃうのでまあこの辺でやめとこう。
とにかく、とりあえず観てる方は結果ばかり気にしないで、その生き様というかプロセスを追いかけてあげるのがとても大切だなぁと思います。
勝負なんだから結果は大事!!!!!っていう人もいるんだけど、私はあんまり気にしてない。だって自分がいつまでも覚えてるのは勝った人じゃないし、その時受けたインパクトが(見てる側にとっては)人生の糧になるんだもの。
やってる側にとっては少しでも結果を積み重ねる事が(その後の人生に関わる事だし)大事なんだろうけど、見てる側がそれを同一視する必要はないんじゃないかな?とよく思います。
自分の好きな選手がいっぱい勝った!って自慢する人はうちの夫って〇〇なのよ〜、とか子供が〇〇大なの〜とかいうのと同じ感じがする。聞いてる側は別に興味ないです…となる感じ。
自慢じゃなくて純粋な成功体験は聞いてて面白いんだけど、自慢は結局結果(形)だけでそこに至るプロセスは無視されてる。
でも本来人間って体験をやりたくて生きてるわけなので、それがどんな体験であってもいいはず。
勝ち→○、負け→×っていうのは短絡的すぎやしないかい?
あと勝ち自慢をする人は自慢してる人が負けたらそれを受け入れない傾向ありますね。フィギュアでいうとジャッジのせいにするとか?でも勝ってるその人も負けてるその人も好きなのがファンですよね。だって結果はその時の状況次第で変わりますよね。ボロボロの演技をして勝つのと完璧な演技をして負けるのどっちが見たいかって考えてみたら…
何故か話が脱線したけれど、今回はにゅー君がプログラムを戻したことを「ジャッジに対する挑戦」だという論調の人が時々いるので書いてみました。
そんな挑戦してないと思うし、彼はいつも自分の限界に挑戦してるんじゃないのかなぁ…
そんな思いです。
皆さんはどう思いますか???