古参ネトウヨの備忘録

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親米か反米か?

この保守論壇の分裂はネット右翼にも大きな衝撃を与えていたが
反米を選択した方は自民党批判→しばき隊などのサヨクに転向する結果となった。

私も世話になった「フェミナチを監視する掲示板」は産経新聞系列保守派によって形成されてはいたが、反米、反自民党にブレず、今でも保守路線を続けています。

近頃云われる「戦後レジーム脱却による(日本再生)」は保守派が願ってやむないことでもあるが、その戦後体制を打破すると言いながら、その戦後体制を作ったアメリカとの同盟関係を強化するのはあまりにも矛盾だという声もあるそうだ。(これにはフェミナチ板の管理人さんや常連さんは応じていません)

そりゃあ、あのピンカーズでは批判の一つでもしたくはなりますよ!

しかしGHQのほうでもそんなにピンカーズばかりではなく、そのピンカーズを追い出して日本を共産主義の毒牙から守るべく軌道修正したようです。しかし、生憎様そのことについては触れられてはおらず、逆にピンカーズがやらかしたことばかりを強調して「占領政策の脱却」となってしまったのが実情。そりゃあ何故そうなったかというと

サヨク学者がその事実をもみ消したから(笑)

なので、占領政策の大転換をさせたパケナム、ダレス、ドッジや、ピンカーズをGHQから追い出したウィロビー少将なんて知らないし、そのダレスが「憲法を改正して国防軍を設置」するよう吉田茂首相に言ったことさえも知らない。

それに問題視されている前期占領政策についてはパケナムは「占領は失敗、また失敗だ」と酷評し、共産主義の跋扈を警戒したのだが、それによってピンカーズとも対立してワシントンから調査団を送るように言ったことがマッカーサーの逆鱗に触れてしまった。

1946年にウィロビー少将は特高警察の廃止、共産主義者の釈放などを行ったソープ准将をGHQから追放し、1947年のゼネスト禁止でコーエンらピンカーズをクビにするなどして国家公務員の労働争議禁止などを行い、ワシントンからの政策批判を手伝って大きな転換点を迎える事となった。これによってパケナムの日本入国が可能になったのは言うまでもない。

つまり、問題の占領政策とやらはGHQがきちんと改善して、共産主義の毒牙から守る基盤を形成してそれがレッドパージなどで大いに貢献した。そのため、サヨクが言った言葉は

逆コースじゃねえか!!


・・・と大激怒(というより火病)
こりゃあ、被爆者をだしにして反米もしたくなるわ、実際そういう漫画もあったし(呆)

そりゃあ、前期政策に問題もあったし文句の一つも言いたくなるよ。
しかし、前期政策はおかしかったが、後期政策は良かったという大人の反応を示せないのかね。その後期政策のおかげで日本は共産主義の毒牙から守られたわけであるし、晴れて自由資本主義陣営として参加することが出来た。

・・・・で、GHQが日本から去って日本は日本独自で共産主義者と戦ったかって?憲法改正や集団的自衛権問題などを見れば解る通り

そんなのしてねーよ(´・ω・`)

そういうことで変に戦後レジームから脱却していたもんだろうね。せめてもの救いは自由資本主義陣営に参加したことによりアメリカとの連携強化を選んだのが産経新聞系列保守派であるが、それも後期政策の成果によるものだと信じたい。


※ピンカーズ
赤がかったやつら、桃色野郎どもという意味もあるが、GHQ内部に潜んでいた共産主義シンパのこと。別の意味ではケーディス(呆)が華族の女性との不倫関係があったことから、そう名づけられたともいう(この場合はピンク電話と同じ意味(笑))



【参考】
中川八洋掲示板 GHQの「前期」政策を、「後期」に大転換させた偉大なアメリカ人たち

昭和天皇とワシントンを結んだ男
    ── 「 パケナム日記 」 が語る日本占領──