普通に生きている限り絶対に知らないまま一生を終える言葉というものは、

まあ色々あるもんだ。

 

かくいう僕の父親の職業も、

普通に生きてる人であれば、一生のうちに一度も聞くことがないだろう。

そもそもあの職業を知ってる人類に直接出会ったことはまだ一度もないからな。

 

かといって、別に特別なことを言おうってんじゃあない。

 

 

 

 

キスアンドクライ(kiss and cry)、接吻と落涙。

 

フィギュアスケートなんかで、

審査結果が出るまで待ってるあのスペースのこと。

 

喜ばしい結果と親愛のキス、無念の結果と落胆の悲涙。

そういう場所だから、キス・アンド・クライ。

 

まあ、ド直球なネーミングセンスだろうなと思う。

 

 

 

 

普通に生きてりゃ知る必要のない単語だし、

知ってどうすんだって話なんだけど・・・

 

逆に言えば、人生なんて知らなくていいものの塊だからな。

正しく言えば、知ってどうすんだよっていう知識ばかりのまま終わっていく。

 

中学受験のときに教わった、各都道府県ごとの名産品なんて、

一生のうちに一度も使わない知識のほうが多い。

 

正しく言うなら、

個人として役に立つことは何度もあったが、

他人とコミュニケーションをとるうえで必要になったことは一度もない。

 

だって、そもそも知らない人のほうが多いことだから。

 

 

 

 

知らない人のほうが多いから知る必要はないと考えるのか、

知らない人が多いからこそ知るべきだと考えるのか?

 

そもそも、それが本当は有名な単語なのか、本気で誰も知らない単語なのかなんて、

どうやっても判断のしようがない。

 

何なら「キスアンドクライ」で今ググったけど、

僕が全く知らない歌の名前が出てきた。

 

僕は歌の名前を知らないけれど、

「悲喜交々」という四字熟語が相応しい場所の名前なら知っている。

 

 

 

その事実はkissなのか、それともcryなのか?

 

そんなことを考えても役には立たないが、

まだ学べるからkissだと考えても、知らないことが多すぎるcryだと考えてもいい。

 

僕は教える相手には成長の機会としてkissを与え、

自分に対しては無能の証明だとしてcryを投げつける。

 

それが健全だとも正しい行為だとも思わないが、

それを要求されたことなら何度だってある。

 

 

 

あなたにとってこのクソブログはkissなのか、それともcryなのか。

まあ、それを決めるのは僕ではないが。

 

「それ」はいったい誰が決めることなのかってのが大事なのさ、何事もな。