毎日更新することに意味があるってのは、
ブログをやってる人なら誰でも知っていることだ。
たいしたことがなくても、
それこそ「自分と同じように日々の変化を欲している」人にとって、
誰かがちょっとしたことを感じているという変化は、観測対象に値するからだ。
ただ、読んで価値のある情報なんてのは有限だ。
料理のコツなんてアレルギーや好き嫌い、
職業(農林水産業)や土地柄、年齢や性別などで千差万別だから、
万人ウケするものなんてのは存在しない。
外食や旅行の話題ならお金の有無で変わってくるし、
それこそ他人の懐や家庭なんざ知ったことではない。
無責任に書けばいいってのも事実なら、
それを一度二度でもやりたくないと思える「誠実な」人ほど、
アレもコレもと自縄自縛でできなくなっていく。
自称することではないと知ってはいるものの、
自覚しなければならないこととして自称するが・・・
真面目な人ほど、注意書きや但し書きを削減することができない。
そもそも大半の取捨選択において一番重要なものは、
原理原則よりも但し書きだ。
道路交通法だって、制限速度を律儀に守るアホのほうが迷惑だからな。
条文に従わなきゃいけない法律なんてのは殆どなくて、
実際の運用次第でいくらでも話が変わる。
だから路上駐車がなくならない。
僕はまさしくそういうタイプの人間で、
まず「あえて」「わざと」条文通りにやろうとして、
実際の運用を指摘されてから「お前が言ったことに従うからな?」と・・・
まあ、責任ってそういうもんだからな。
勝手に判断するくらいなら指示を待つ。
独断専行をやっていい立場の人間なんて社長や個人事業主くらいなもんだし、
彼らでさえホウレンソウはしっかりやるわけで。
他人の独断専行を期待している無能なんて、
指示すら出せない無能未満のクズでなければ何なのかと、
一度くらいはボコボコにブン殴ったうえで問い質してみたいもんである。
僕は注意書きを削減して、補足や詳説を無視して、
あるいは逆効果どころか大失敗になるような結末が見えているのに、
それを無視して結論だけ書く、ということができない。
できないというよりは、
今更それをやりたいと思えるほど無能でも未熟でも傲慢でもない。
だからたった一言で済むであろう文章に、およそ900字の前置きが要るのだ。
面倒臭い、と。