僕個人の人生が極めて不幸であるというのは、
統計的ないし医学的な事実でしかないので、
僕が勝手に自称しているわけではないし、自慢しているわけでもない。
ただ、僕と同等の不幸や苦難を経験した人は、知ってる限り誰も生きてはいない。
まあとにかく、よくも悪くも特殊な人生だったので、
僕は「見た目だけごまかせばいい」という発想が大嫌いだ。
「実際に役に立たないもの」なんて、あってもなくても変わらなかったからだ。
その致命的な不幸や災難ないしは事故や虐待を超えて明日を迎えるためには、
実際に何かができることと、知っていることの正しさだけが要求された。
あくまでも特殊な人生、不幸な人生であったがゆえに、
僕は世間体や周囲の評判よりも、
自分の皮膚よりも下に生じる実益を何よりも重視した。
でもさすがに、若さを失い未来も希望も失い、何なら貧乏ですらある。
いや、分類上は貧乏どころか貧困のど真ん中にあるんだけどさ。
自分が知っている知恵や工夫というものは、ゼロ円でやれるものではない。
そもそも知恵や工夫なんてのは、
物資や金銭の不足を補うことが可能になる魔法のような何かではありえない。
食べるものがなければ死ぬだけだ。
どんな工夫をしたって知恵をしぼったって、
何も食えないのなら、餓死からは逃れられない。
同様に、
「国際組織、医学理論、政府機関その他が推奨するレベルの健康」
を維持するための最低限度の何かは、今の、今後の僕には、絶対に足りない。
それは何度試算しても、何をどうごまかしても、決して逃れられない。
知恵や工夫を尽くしたからこそ見えてしまった、
根源的に何もかもが足りないからこそ訪れる、
「所有可能な物質の総量」としての、物理的な限界だ。
だからこそ決断した。
上記の人生経験に基づき、
「実際に使える肉体機能」だけを追求し、それを維持しようとしてきた。
だがもうそれは無理だ。
無理だとわかっていても足掻こうとした。
でもやっぱり無理だった。
自分の知能は努力や根性よりも正確に限界を見抜ける程度には、
無能でも愚劣でもないことくらいは知っていたけど、念のため12年間足掻いた。
理論上、男性の平均寿命の1/7に相当する時間だからな。
趣味でも仕事でも何でもない義務感や責任感の領域において、
この時間を「少ない」と言い張る人はまあ、おるまい。
でもやっぱり無理だ。どうあがいてもうまくいかない。
一番若かった頃なら若さでごまかせていたんだろうけど、
今後は今より衰えるだけだから、絶対にごまかしが利かない。
なので、自分の肉体に関する意識を根底から改めることにした。
実際に使える運動能力の維持なんか不可能だ。
そうありたかったけど不可能だ。
だからもう、そんなものは捨て去るしかない。
今までの認識を捨て去ったうえで、
あらゆる意味でローコストな肉体管理に移行しなければならない。
実際に=十全に使えるかどうかではなく、
せめてヒトらしい形状と機能を最低限度維持することだけを考えよう、と。
つまり、散歩とジョギング、精々ハイキング程度ができればいい。
全力疾走や俊敏な跳躍、トレイルランなんて求めない。
サイクリングや水泳が最低限度できればそれでいい。
体を動かす必要ができたとき、ほんの少しの無茶さえきけばいい。
45kgの荷物を背負い無補給で3日間徹夜で山を走り続けることなんかもう諦めろ。
それでも持って生まれた能力でさえ平均値を下回ることはできないから、
「それ相応の付き合い方」というものを模索する。
悲しいことだけど、
運動能力を削り肉体機能を狭め、
維持コストを減らすことを考えなければならない。
老いに逆らうための知識も経験もあるはずなのに、
それを実践できるだけの金銭がない。
知識も経験も無駄になるから、
今後はもう、教えるためだけに保全するものだと割り切る。
自分の体のために使ってやれる理論とコストを、
完全に別のものにすり替えていかなければならない。
少なくとも、そうするべきだと判断した。
とても悲しいことなんだけどな。
それ以外に現状を打開する手段が思い浮かばない。
というか多分、そもそもそれしか方法はなかった。
「頭では最初からわかっていた」。
あくまでも地獄の底でもがき苦しむ姿を周囲にアピールして、
もう十分頑張ったから諦めることにしたよと、
そう漏らしても許されるまでは、無駄に人生を磨り減らそうとしただけ。
そして多分もう、僕にそんな努力を要求する人はいない。
見捨てられたわけではないが、たぶん誰も文句は言わない。
僕に文句を言うような奴はたぶん、僕のそばから去った。
困ったことに、この世のどこかで存命はしているだろうけども。
つまり簡単に言うと、
明日から僕の肉体管理意識は、
見た目だけ維持する方針に切り替える、ということだ。
ヒトらしく歩けて、ヒトらしく動ければ、それ以上は求めない。
今までの自分らしさなんてものは捨て去る。
歩く、走る、跳ぶ、登る、泳ぐ、
最低限度そのへんができればいいことにする。
それらの水準を高める努力はしない。
苦手な人に笑われない程度に、軽くできればいいのだ。
若さを失ったから諦めたというよりは、
そうでもしないとコストパフォーマンスが悪くなりすぎた。
老いへの対処じゃなくて、方針の変更だから。
今後10年で迫られる老いへの対処はまた別途やることになるだろうけど。
・・・・・・まあむしろ、
僕を含む大半のアラフォー男女には、
その最低限度の動作の維持が一番難しいことなんだけどさ。
習慣からor習慣だけいきなり変えることはまあ不可能だろうから、
まずは今年いっぱいかけて、意識から変えていこうと思う。