結城市の歴史 近代結城のなりたち

引用 参考書籍 結城市史 第六巻 近代現代通史編 発行:結城市  編集:結城市史編さん委員会

P994

機屋の分布と創業の時期

結城紬は結城市を中心として、茨城県、栃木県の両県にまたがる広範な

地域で生産されている。結城、小山両市を中心とした機屋の分布状態に

ついては戦後何回か調査が重ねられているが、1964年(昭和39)と

1973年(昭和48)に行われた調査が比較的まとまりのよい調査である。

これらの調査は茨城県繊維工業指導所と栃木県紬織物指導所が協力して

ほぼ同じ時期に各担当地域について行ったものである。前者の調査は

両指導所が調査結果を独自に整理しているが、後者は調査方法も統一し

報告も一本化している。いま、1973年調査によって機屋の分布をみれば

ほぼ両県同じ数値を示している。この調査は茨城、栃木県両県指導所の

職員の戸別調査によっているため、織物組合はもちろん非組合員まで調査

し、機屋経営の実態をほぼ正確に把握している。茨城県の生産者は三市二

町で1018戸を数えているが、結城市にその65.8%が集中している。

結城市に次いでは関城町が多い。栃木県では1071戸の機屋を数えるが、

その79.4%が小山市に集中している。営業の区分は自営と賃織りとなって

いるが、自営業者のうち絣しばりを他に依存するものを自営(2)としてい

る。賃織りは大部分が機屋の下請業者であり、ごく例外的に卸商の賃織りが

みられた。賃織業者は538戸を数えたが大部分が結城、小山両市に集中

していた。自営(1)のうちには絣織りに手を出さず縞や無地を織っている

生産者も含んでおり、特に農村部でその傾向が強くみられることには注意し

ておかなかればならない。これらの機屋の創業時期については、1964年

調査の栃木県分についてのみ明らかである。1070戸の機屋のうち、江戸

時代の創業は16.2%にすぎない。明治期の創業は22.2%で大正期が27.5%

であった。最も多いのが昭和期で34.1%に達しているが、このうち戦前は

21%、戦後が13.1%になっていた。大正、昭和期の創業に集中していたこと

になる。茨城、栃木両県を通じた史料は1979年調査によって知られる。

1979年調査は、両県の紬織物協同組合が組合員について行ったものであるが

調査戸数が約半数となっている。両県についてほぼ共通した傾向を示し、

1964年調査とはかなり違った結果となっている。両県組合員の創業時期は

江戸時代が1%強にすぎず、明治期も前期、後期を合わせて茨城県で13.5%、

栃木県で23%にすぎない。これに対して昭和期の創業は茨城県で72.5%、

栃木県で64%となり、圧倒的部分がこの時期に創業している。1964年以降

機屋にも大きな移動がみられるのではなかろうか。伝統産業の中にも、時代

の変化は鋭く浸透していることを、読みとることができる。

 

 

 

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