結城市の歴史 近代結城のなりたち

引用 参考書籍 結城市史 第六巻 近代現代通史編 発行:結城市  編集:結城市史編さん委員会

P980

重要無形文化財の指定申請

1950年代になると結城紬の生産も着実な復興を示した。経済をはじめ国民生活

の安定とともに、国や県の文化財保護についての関心が高まった。1950年(昭

和25)5月文化財保護法が制定され、これにならって1952年2月茨城県でも

文化財保護条例を布達した。この条例によって、演劇、音楽、技術など無形文化

財が特別に保護されることになった。本場結城紬織物協同組合では1953年8月

結城紬を茨城県無形文化財として指定申請を行うことを決めた。申請を受けた

県文化財専門委員会はさっそくその検討を始めた。11月結城紬(平織りと縮織り)

は県の無形文化財として指定された。この間国の指定もあわせて受けようと文化省

に陳情したが、国の指定は受けられなかった。結城紬が茨城県の無形文化財として

認められる過程で、これまで本場結城紬織物協同組合に加入していた第二部以下の

各業者が、それぞれ独立の組合を設立する動きが起こった。最初に独立したのは

第二部の買継商であり、1953年12月には本場結城紬卸商協同組合として独立した。

続いて本場結城紬原料製造協同組合、本場結城紬染色工業協同組合、本場結城紬

撚糸業組合、結城織物整理同業組合がそれぞれ設立され、織物協同組合から独立した。

結城市内の関係者が中心となって文部省と交渉を始めた。文部省からはさっそく担当

者が出張して、結城市をはじめ隣接町村における紬の生産状況を調査したが、あさせ

て栃木県内における紬生産状況についても調査した。翌年1月には結城市役所で市長

以下関係者による指定促進協議会が開催され、2月には結城市をはじめ茨城、栃木

両県にわたる結城紬生産を打って一丸とする指定促進協議会が設立された。関係

市町村にはその支部を設けて活発な運動を展開し、重要無形文化財の指定実現を

はかることになった。ほぼ同時期に結城市長ほか一名を代表者とする本場結城紬保存

会が設立され、この保存会の責任において無形文化財の指定申請が行われた。

結城紬の平織りと縮織りの両方について申請が行われた。申請書に述べた本場結城紬

の技術上の特徴としては、<古代そのままの<いざり>機によって織られ、その地質

は<いざり>機の特徴である樫材の杼をもって力いっぱい打ち込んで織るのであるから

織りこみは極度に引きしまり水ももらさぬという地質になる>ことが強調されている。

製作工程も原料真綿の製造から完成品になるまで一貫した手仕事で行われ、主要

生産過程は最も古い時代の手法がそのまま踏襲されている。申請書に示された主なる

工程はほぼつぎのとおりである。

1糸つむぎ

2糸揚げ

3絣しばり

4染色

5糊つけ

6撚糸

7管まき

8機織り

9縮取り(しぼとり)

である。<補足情報はこちら>

 

<重要無形文化財の指定申請 おわり>