結城市の歴史 近代結城のなりたち

引用 参考書籍 結城市史 第六巻 近代現代通史編 発行:結城市  編集:結城市史編さん委員会

P978

茨城県繊維工業指導所の設立と生産指導(1)

戦後結城紬生産の発展に茨城県繊維工業指導所の果たした役割は大きい。この

指導所の前身は1922年(大正11)3月茨城県工業試験場として設立され、

戦前から結城紬の生産発展に大きな貢献をしてきたが、太平洋戦争の激化する

中で結城紬自体が贅沢品として製造を禁止され、試験場も1943年(昭和18)

4月廃止された。事業の一部は茨城県時局工業指導所(a)に新設された繊維課

に引き継がれたが、敗戦とともにこの指導所は茨城県工芸指導所に編成替された。

結城紬の生産復活と歩調を合わせて繊維課の事業も拡充された。茨城県が<平和

茨城3か年計画>で結城地方の紬生産の復興を重視する中で、結城町戸野町に

茨城県工芸指導所繊維支所が新設された(b)。戦争によって廃場のうき目に

あい四方に散った試験場旧職員の多くが復帰して、繊維支所の新設に協力した。

1949年(昭和24)10月には結城町戸張町の工場跡567坪を買収して移り、

施設を拡充したが、翌年5月には茨城県繊維工業指導所として独立した。地場

産業の発展に貢献してきた試験場の長い伝統は新しい指導所にもそのまま受け

継がれた。指導所の職員たちはようやく復興期を迎えていた紬の生産を、戦後

の社会変化に対応した伝統産業として定着させるため日夜奮闘した。1946年

(昭和21)設立され、当初機屋を中心としていた本場結城紬織物協同組合も

紬生産の活発化に従って内容を拡充し、1950年には戦前の五部(c) に整理

業を加えた六部制が復活し、各部ごとにそれぞれ独自の活動を強化した。

これは1949年絹関係品に対する統制が撤廃され、生産販売が自由化したこと

によって結城紬の生産が一段と活発したことの反映であった。

 

(a)水戸市元山町

(b)1948年9月

(c)製造業、買継商、原料商、染色業、撚糸業の5つ

 

<茨城県繊維工業指導所の設立と生産指導(2) につづく>