結城市の歴史 近代結城のなりたち

引用 参考書籍 結城市史 第六巻 近代現代通史編 発行:結城市  編集:結城市史編さん委員会

P975

結城紬生産の復活と発展

結城紬の復活(1)

結城紬は戦後混乱の中でいち早く生産を復活し、戦後の経済復興に重要な役割

を担うことが期待された。当時窮迫する国民生活を安定させるため、食糧輸入

はとくに差し迫った課題であり、その見返り物資として各地で輸出出品が求め

られていた。茨城県の輸出商品として、結城紬は特別に重視された。1946年

(昭和21)3月15日の新聞報道(a)によると戦後いち早く設立された茨城県

本場結城紬織物協同組合が中心となって、米国輸出向けの結城紬を試織した。

組合では総司令部へ二回目の見本提出を行い、製品についての意見を求めた

ことを伝えている。見本は地布に渋味を持たせ、茶、グリーンの二色を配した

中柄模様のものであった。この見本に対して司令部では第一回の見本に比べて

いちぢるしい進歩のあとを認めながらも、なおいっそう米国人の嗜好に適した

模様の織物を求め、友禅模様を取り入れた結城紬を織りあげるよう提案した。

地元ではこの要望に応えるため大変苦労し、経糸に玉糸を使って輸出向け

結城紬の生産を試みた。これにあわせて、占領軍兵士向けのネクタイ、テーブル

センター、袋物などの生産も試みた。1947年6月には政府から結城紬の原料

として生糸525キログラムが配給され、これを契機として紬の生産はいよいよ

本格的になった。

 

(a)茨城新聞

 

<結城紬の復活(2)につづく>