結城市の歴史 近代結城のなりたち

引用 参考書籍 結城市史 第六巻 近代現代通史編 発行:結城市  編集:結城市史編さん委員会

P518

結城農学校

 

結城町簡易蚕学校

1883年(明治16)に農学校通則が布達されたが、茨城県内に農学校は設置されず、簡易農学校

規定によって、1896年(明治29)4月、初めて水戸市に茨城県簡易農学校が設立された。そして

翌1897年に結城町に町立簡易蚕業学校が開設され、その中に染織学校が併設された。結城町から

県に提出した設置認可願によれば簡易蚕業学校設置の目的を次のように述べている。<結城地方は

古来から米、繭、紬の産地として著名であった。とくに生糸生産は安政の開港以来アメリカを輸出

市場として大幅に伸びてきた。農民たちは平地林を開墾して桑畑とし、養蚕をさかんに行なうように

なった。だが養蚕家の飼育技術はいたって未熟で、良質のまゆを生産することができない。随時農事

講習会を開いて、技術指導を行ってはきたものの、講習機関が短いため、充分成果をあげることができ

なかった。このさい簡易蚕業学校を設立して学問と技術を同時に身につくようにしたい。(要旨)>

これは地域農民の要望を伝えたものであるが、他方町内の紬問屋、染織業者の要求に基づき染織学校

を併設することになった。共に簡易学校という形態はとっているが、当時戸数1900戸の結城町に2つ

の実業学校を開設するということは町財政に照らしても容易なことではなかったと想像される。それにも

かかわらず、二校開設にふみきったのは明治維新以降やや停滞の色を濃くしていたこの地域の産業を、

学校新設によって発展に向かわさせようとする強い意欲が秘められていたと考えられる。簡易蚕業学校は

1897年4月開校したが、年限は二年で、別料として4ヶ月コースもあった。生徒定員は本科は一学年35名

で70名、別科30名であった。教科科目は本科の場合修身、読書、算術、物理、化学、動植物学などの

いわゆる普通教科と、桑葉栽培、害虫論、土壌論、蚕体生理、蚕体病理、養蚕術、製糸法、気象、農業経済

の専門科目があり、実習科目は顕微鏡使用法、蚕体解剖、養蚕術、繭質鑑定法、蚕種製造および護種法、

蚕種検査法などがあった。別料は修身のほか蚕体生理および解剖、蚕体病理、養蚕術および製糸法、

桑樹栽培法および害虫論のほかに実習が付加された。本科生徒の授業料は一ヶ月30銭、別料は月々20銭

であった。認可申請書にもられた予算内容によれば、年間授業料収入156円、養蚕収入50円、町費813円

78銭、国庫補助金800円で収入合計1819円78銭である。支出の面では教員3名、養蚕教師2名に対する給料

954円、需要費628円53銭となっていた。なお校舎建築費800円は有志の寄付金でまかなう予定であった。

 

<結城町簡易蚕学校 終わり>