結城市の歴史 近代結城のなりたち

引用 参考書籍 結城市史 第六巻 近代現代通史編 発行:結城市  編集:結城市史編さん委員会

P473

明治後期、大正期の紬の生産と販売(2)

紬の種類についてみてみると、大正期に縮の生産がふえている。縮は1902年(明治35)頃、結城の

業者が栃木県佐野町の機業からヒントを得て織ったといわれている。しかし1915年(大正4)でも

縮はわずか393反しか作られておらず、一説では<大正4年頃ヨリ在来ノ平織ニ加フルニ、縮織ヲ

創織シ>たともいう。縮は派手な感じがあり、肌ざわりもよく、そのうえ紬糸の質が多少悪くても

目立たないなど、消費者、生産者の双方にとって魅力があったので、急速に生産が増加した。1919年

には縮は7000反以上も作られ、紬全体の16%を占めるまでになり、それ以後も縮の生産は増加して

いった。絣についても、すでに述べたが、大正中期までは絣の割合は、平織、縮織合わせて10%に満

たなかった。しかし絣の模様は、十の字絣でも横幅の中に80から120へと細かくなり、さらに亀甲も

しだいに細かいものが作られるようになった。1916年(大正5)頃、絹村の梁(やな)で、<梁絣>

が作られ、1928年(昭和3)秋頃から新しい複雑な絣模様が考案された。このように旧来の生産方法

を守りながら、手間をかけて複雑、精巧なデザインの織物を作るのが、結城紬の特色となっていき、

現在にまで至っている。

<明治後期、大正期の紬の生産と販売(3) につづく>