結城市の歴史 近代結城のなりたち

引用 参考書籍 結城市史 第六巻 近代現代通史編 発行:結城市  編集:結城市史編さん委員会

P434

養蚕戸数、掃立枚数、桑畑の推移

 

結城地方養蚕業の実態を、養蚕農家、収繭量、桑畑面積等について、比較的統計の整っている

山川村と江川村を比較しながら、みていくことにする。

山川村の場合、養蚕飼育戸数をみると、その変動が大きいことが特徴的である。これは

繭価の変動に影響されやすく、飼育したり中断したりする農家が多かったものと考えられる。

桑畑面積も、右にみた事情を反映して、明治30年代には市域五町村のうちで最大規模であったが、

この時期をピークに停滞もしくは漸減傾向さえ示し、大正期の収繭量では、五町村中最低と

なっている。江川村の養蚕は当初あまり振るわず、桑畑面積は結城市域で最低であったが、

大正中後期にかけて、春、秋とも飼育戸数が増大した。桑畑面積は明治末から大正期を通して

着実に増加し、産繭量も直線的にふえていることがわかる。中でも秋蚕の飼育が春蚕をオーバー

するのは結城地方の特徴であったが、江川村ではそれが顕著であり、さらに大正中期以降一戸

当り掃立枚数の増加が目立っている。山川、江川の両村とも、第一次大戦中から戦後の好況期

にかけて、繭収入の増加が三倍から四倍を示している。しかし、1920年の反動恐慌期には二分

の一にも下落し、江川村の秋蚕収入は一挙に四分の一に減少した。