空洞化に勝機をみいだす (結城紬部門)

結城紬の生産に関して生産者の空洞化がしょうじる。
空洞化がおこったときに、空洞化をうめる役割や責任に
充実感を見いだす。そもそもの私の動機ともいえる環境である。
このようなケースは今や様々な職業にいえるだろう。
空洞化は、ひとつのチャンスともとれる。

結城紬の組織、例えば問屋、問屋よりさらに大きい問屋、
織元、協同組合、作家、関係者、専門機関、従事者、職人、
これらは、実はどれが消滅し、
なくなっても産地にはさほど影響はない。
この事実に、はやく気がつくべきである。

結城紬はなくならない。とか、なくなる。といわれるが、
どちらでもいい。産業ではなくなるとか、趣味の世界になる、
といわれるがどちらでもいい。

今や無料でホームページやブログ、SNSが利用できる。
このことをもっと多くのユーザーに影響を与えるべきである。

結城紬を様々な形で宣伝したり、伝えたり、
今後のITは 共有 が鍵をにぎるだろう。

ネットに接続する という行為で様々な表現が可能になる。

たとえば、ホームページの管理、接続の維持費が年間3万円だとする。
ひとりの人件費が年間300万円だとする。ひとりの人を雇うことをあきらめて、
ホームページの管理、接続の維持費にあてるならば、100年間、維持できる。

無料で利用できるサービスはもはや半永久的といえる。
ましてや有料でもそれほど高くつくという維持費や金額ではない気がする。

これから始めようとするならば、できることからやっていく。
それはインターネット活動だけのことではない。
より良い環境、メディア、自分メディア、自分を持とうではないか。

人間は100年くらいしか生きられない。
100年なんてあほみたいに短い。