「窓ぎわのトットちゃん」が映画化されたらしいですね。

もちろん私も子供の頃に読んだことあるし、長女が発達障害とわかってから再度読み返した作品でもある。落ち着きのなさで小学校を退学になってしまったトットちゃんを初め、脳性麻痺の子や身体障害を持つ子も、みんな一緒の教室で共に学び、共に育つトモエ学園のお話。

世間的にも「理想の教育!」「なんて素敵な学校!」「校長先生があたたかい」「こんな先生と出会いたかった」と感動の嵐、世界的ベストセラーである。


ただふと気になるのですけどね、トットちゃんを読んで「理想の教育!」と言った世間が、障害児を普通級に入れたいと言うと「普通級ゴリ押し親」「支援級は差別じゃなくて区別」「無理に普通級に入れられてかわいそうなのは子供」みたいな論調になるのはなぁぜなぁぜ?(←流行に乗ってみた)

トットちゃん感動しました!って言ってる層と、普通級ゴリ押し親!って言ってる層は違うんだろうか。意外と同じ層だったりするんじゃないかとも思うけど。

誰もが一緒に学ぶ環境が素晴らしいのはわかるけど、理想と現実は違うんだよってことなのかなあ。


てか窓ぎわのトットちゃんが発売されてベストセラーになったのはなんと1981年。そのとき既に、個性重視、誰もが一緒に学べる学校って素敵だね!って意識はあったってことだよね。

でもそれから42年経っても、トモエ学園みたいな環境が当たり前にはなってないのよね。そりゃ当時の養護学級と比べたら今の支援級の環境は格段に改善されているだろうし、大阪方式みたいに、一部の自治体では障害児に支援担当の先生を着けることでみんな同じ場所で学ぶ環境もあると聞くけど、全国的にはむしろ支援級で過ごす時間を増やせみたいな流れらしい。

金か?やっぱり金の問題なのか?

てか生々しい話、トモエ学園の学費ってどのくらいだったんだろう。黒柳家は割と裕福そうだから払えたのかもしれないけど、一般家庭からしたらとてもとてもって感じなんだろうか。


でももし今トモエ学園があったなら、多少の課金はしてでも長女を通わせたいと思う。ただ実際はトモエ学園みたいな私学自体もあまりないよね。

障害のある子も共に学べます!って言っても、そこをあえて志望してくれる健常児ってあまりいないのかなあ。結局は来るのは障害児ばっかりで、学校自体が支援級みたいになっちゃうだろうか。

それでも地域のマンモス校の中、障害児だけが集められたあの小さい教室に通わせるよりは、寂しくないような気もするんだけど。


しかし海外では既に障害児の分離教育をしなくなってるところもありそうだけど、そういう国でもトットちゃんは読まれてるんだろうか。「日本人はこんな当たり前の話で感動してるのかい?クレイジーだな!HA-HA!」って感じなのかしら。

と、映画の宣伝でタレントさんが「トットちゃん感動しました!」「こんな学校が本当にあったんですね!」みたいなコメントをしてるのを見聞きして、ひねくれた思いを巡らせてみた。あ、でも映画は一応見に行きたいかも。子供が冬休み入る前に行けるかなー。