療育に対して渋い見方をしてしまうのは、療育の目的と活動内容、効果がわかりづらいせいもあるかもしれない。

スイミングなら「水に慣れる」とか「泳げるようになる」とかの目的があって、そのためにプールに入って顔を水につけるとか、浮かんでみるとかの活動がある。できるようになったかどうかもわかりやすい。

体操なら「逆上がりができるようになりたい」→鉄棒の練習をする、ピアノなら「音符が読めるように」「何か一曲弾けるように」→ピアノの練習をする、英会話なら「英語に慣れる」→外国人講師と英語で遊ぶ…って感じで、普通の習い事って何かとわかりやすいんだよな。


一方、長女を通わせてみて思うけど、療育ってその辺がわかりづらい。

一応目的はある。感情のコントロールができるようになってほしいとか、お友だちとコミュニケーションをうまく取れるようにとか、興味の幅を広げたいとか。

で、そのための活動内容は「今日は小麦粉ねんどをしました」とか「鬼ごっこをして遊びました」とか「かくれんぼをしました」とか。もちろん活動を通じて感覚統合を進めたり、勝ち負けにこだわらないような声がけをしてくれてたり、友達と遊ぶことの楽しさに気づかせてくれたり…と、活動それ自体より先生の接し方が重要なんだろうけどさ。

しかも効果はって言ったら、これがすさまじくわかりづらいんだよなー!療育通うようになってから、興味の幅が広がったのは確かに言えるんだけど、感情のコントロールなんて一向によくならないし、相変わらずコミュニケーションも一方的で浮いてるし…

長女が楽しんで通ってるのは確かだし、丁寧に接してくれている先生たちには感謝してるけど、効果は「療育行かせてなかったらもっとひどいことになってたと思うしかない」みたいな感じかも。とにかく目的も活動も効果もほわっとしてる、コスパ(費用はかかってないけど送迎や手続きの手間はかかる)もわかりづらい、それが療育の印象だわ。

まあ私の本音の目的は「普通の子になってほしい」なので、それは療育でも医療でも絶対にかなわないので、満足度が高くないのは当たり前なんだけどさ。


そんなわけで、次女もぜひ療育に!とはなかなか踏み切れない私。

役所から紹介される療育は「その子に寄り添ってのびのびと」が多いので、どうせなら民間の「独自のメソッドでIQを伸ばします!2歳で発達障害と診断された子が東大に!」みたいな療育探したら通わせるのが楽しくなったりするかなあ。それはそれでクッソ怪しいか。