人間は常に物語を信じている。

 

自分が叶わなかった夢を、

 

叶えるのは子供。

 

自分が現役時代に夢は叶えることはできず、

 

それを子供に託す。

 

自分は現役時代に見聞きし、経験した情報や技術を

 

余すことなく子供に託す。

 

そうすることで、親子二人三脚で夢をかなえようとする。

 

これは、昭和世代によく見られた物語である。

 

 

しかし、この物語を信じてしまったがために、

 

親子ともども、ひいてはその家族や周辺の人に至るまで、

 

不幸になってしまった無名の庶民の数は限りない。

 

大の大人になり、自分は若い時と比べると、

 

確かに多くのものを経験し、知っている。

 

 

たしかに、それはそうであろうが、

 

それは常識に対するフィルターがないといってよい。

 

 

人は、行為や言動、振舞いの深さによって

 

大人にもなれば子供にもなる。

 

つまり、ある意味で年齢は関係ないといえる。

 

 

年齢を重ねれば大人になれると思っていることは、

 

これから、あらゆるものの基準が上がる令和の時代には

 

通用しないのかもしれない。

 

 

これからは、知識や情報、人間に対する真偽や見極める力だけでなく、

 

常識や自分が無意識に信じている物語にもアクセスし、

 

「それを信じて、本当に自分や周りは幸福になるのか?」

 

を、再検討、シミュレーションする能力がいるだろう。

 

 

世間一般が持ち合わせているフレームワークで思考し、

 

さらに、そのフレームワークを外して思考することが再検討になる。

 

シミュレーションは、その方法を本当に採用していいのか、

 

紙に書き出して言ったり、脳内でシミュレーションする。

 

その際、現状の状態や状況で判断するだけではいけない。

 

必ず、伸びしろや、下げしろを考える。

 

伸びしろは、それを続けていくと、今よりも成長するであろう、

成長度合いを考えるということ。

 

下げしろは、それを続けていると、今よりも減るものを

考えるということ。これは、多くは若さがそれにあたる。

 

また、直線的に考えてはいけない。

 

たとえば、筋肉トレーニングをしていたとしよう。

 

1日目は、10回できた。

 

10日目になると20回できた。

 

20日目になると、30回できた。

 

さぁ、では、30日目になると、何回できるだろうか?

 

本当に、40回なのだろうか?

 

まだここで30回を維持することになるかもしれない。

 

もしくは、今までのトレーニングがばーんと伸びて、

いきなり50回できるかもしれない。

 

こういった、不連続性も考える。

 

 

こうして思考、シミュレーションして、

 

常識や、信じている物語を再検討することで、

 

多くの勘違いを生み、不幸になる人や家族を救っていけると私は感じる。

 

 

多くの場合、自分の予想を過大評価しすぎてしまい、

 

「俺の言うとおりにすれば、絶対に優勝だ!」

 

などと言ってしまう。

 

しかし、ここで大事なのは、

 

指導している側は、その現場を経験したことがないということだ。

 

正直、勝負の世界は別格だから、

 

敗因は、ただ単に

 

「取り組み始めるのが遅かった」

 

からと考えている場合が多いのだが、

 

残念ながら仮に、取り組むことが早かったとしても、

 

叶わぬ夢だったのかもしれない。

 

それを、後輩や子供に押し付け、

 

充分な期間鍛え上げたにもかかわらず、

 

成就させることができなかった。

 

 

こんなはずではない。どうしてだ。

 

俺の指導は間違っていない。

 

では、こいつの根性が足りないのか?

 

いや、もっと長くやれば行けるはずだ。

 

 

・・・何!?辞めたいだって!?

 

冗談じゃない!!

 

俺は我慢してきたんだ!

 

夢を我慢し、就職し、妻と子供を作った。

 

そして、俺の果たせなかった夢を

 

お前に叶えてもらうことで、俺は後悔のない人生を

 

送る人生を送るはずだった!

 

なのに、お前はできないというのかー!!!

 

 

うるせー!!

 

私はあなたの道具じゃない!

 

 

 

こうした、悲劇がなくならないのは、

 

間違った物語を信じているからだろう。

 

 

あなたが信じていることは、信じ続ける意味はありますか???