




「天使と悪魔」
映画やテレビなどで
悪魔に向かって
十字架を外側に付き出し
「サタンよ退け!」
というようなシーンを
見たことがある人も多いかと思います。
サタンとは悪魔のことですが
果たして悪魔とは何者でしょうか?
実はサタンとは自我を指します。
自我は外側にはありません。
サタンは外側には存在しません。
私たちの内にあるものです。
では、今までの映画やテレビの様な
サタンの捉え方は誤っていませんか?
私たちの自我は消え去りません。
覚者であっても、自我そのものは
在り続けたのです。
皆さんもよく知っている覚者は
「サタンよ退け!」
と言いましたが、これは
湧き出てきた誘惑や欲望や執着などの
自我に対して、己が己に放った言葉です。
そして、自我に打ち勝ったのです。
また、サタンと共にエンジェルがいますが
エンジェルも外側には存在していません。
天使も悪魔も
私たちの内にあるものです。
天の使いと書いて天使。
私たちのひとりひとりが天の使いであり
天使そのものであることすらも
忘れてしまっている方が多いのです。
※天使に関しての
過去の記事です。
そして
我は、神なり。
私たちは、今までに
神や天使や悪魔を
外側にこしらえて
盲信・狂信・偶像崇拝してきたのです。
翡翠
ハーモニーカウンセリング☆翡翠の杜
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「無知迷いの人生とは?」
無知・迷いの本当の意味は
宇宙の法則・愛の法則である
真理を知らぬことを言います。
真理を知らぬは最大の罪。
知って身口意を侵すは言語道断。
真理に辿りつくまでには
人それぞれの経験が伴います。
それは、今生の経験だけではなく
幾転生の過程に於ける中での経験です。
だから、皆おかれている立場が違うのです。
この世に不平等はなく全てが平等なのですが
一見、不平等に見えるのは
その方がおかれている
今生での課題がひとりひとり異なるから。
この課題をクリアする為に
私たちは、この地球上での
経験が必要なのです。
この課題のことを言い変えますと
カルマです。
だから、再びこの世に
転生してきているのです。
「今度こそは、今まで合格に至らなかった
この課題をクリアにしてきます。」
と、自ら誓いを立てて
この世に降りてきているのです。
経験が後に深い理解を生みますが
これが理解力。
悟りとは、その方の理解力を言います。
真理は、その方の理解力に応じたものが
顕われます。
それ以上のものも
それ以下のものも顕われません。
まだ知らぬ人は、その経験を
していない状態なので
(知らないのが悪いと言う意味ではありません)
いくら法則の話を耳にしても
霊書が目の前にあっても
結果・現象の世界に意識が
向いていますので
残念ながら、素通りしてしまうか
否定で終わるかのいずれです。
真理は手取り足取り
教えるものではありません。
その方の経験と理解力に応じて
あなたの目の前に自ずと顕現されます。
真理を知りながら
身口意を侵すは、言語道断!
これは、真理を知っているにもかかわらず
行動・言動・想いに於いて
愛の法則を侵すのであるならば
知らない人よりも
罪は重いと言うことなのです。
翡翠
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