瞑想とは『明想』。
一人ひとりが完全意識(神我意識)である状態を
明想状態と言います。
・・・ですので、山や洞窟や教会やお寺に閉じこもったり
何処かの伝導瞑想グループに交じって
何時間も目を閉じて座っている事が瞑想ではないんです。
正しい言葉、正しい思い、正しい表現で
生活していることを瞑想(明想)と言います。
生活そのものが瞑想状態でなければ
どこにその意味があるのでしょう・・・。
日々、目を閉じて座って努力して
朝晩、瞑想だけを行っていたとしても
生活の中で身口意が成っていなければ
それは瞑想ではないのです。
瞑想をしている時だけ神我意識ではなく
一日を通して瞑想状態でなければ意味がないのです。
「瞑想を通さずして神の国を見た者はいない。」
深い瞑想を通して語れるように
私も努力を続けます・・・。
翡翠